「日本人」力 九つの型 背表紙
Created with Sketch. 働き方の知恵

AIと人間が共存する方法とは?

AI(人工知能)の進化が人間のそれを上回る「シンギュラリティ(技術的特異点)」が訪れると予測されているが、そのとき人類は終焉を迎えるのか? 人類とAIにどんな未来が待ち受けるのかを齋藤孝先生に語ってもらいました。

いまはAI(人工知能)が発達し、人の仕事を奪うと考えられています。そういう未来をおそれている方もいらっしゃるかもしれませんが、世界の変化に対応する「日本人」力を私たちは持っていると思います。

日本人の対応力は非常に柔軟性に優れていて、急な変化を恐れません。たとえば文部省が近代学校の学制を敷いたのが明治五年ですが、そのとき、西洋の学問一本でやると決定したのが、佐賀藩出身の江藤新平(1834~1874)と大木喬任(1832~1899)の二人でした。

当時、日本には国学や漢学もありました。彼らは漢学にも優れた知識があったのに、それをひとまずきっぱりと捨てて西洋の学問、すなわち実学で行くという方針を決めたのです。捨てるときには、以前のものを躊躇なく切り捨てられるのが「日本人」力です。たとえば新美南吉(1913~1943)の『おじいさんのランプ』は、そうした事情を詩情豊かに描いています。

大阪 背表紙
社会の知恵

梅田は東京の匂いがする?

「キタ」(梅田界隈)が東京的で、「ミナミ」(難波界隈)が大阪的? 地理学者が文学作品と漫歩から大阪の街を読みときます。

1 梅田の都市景観

駅頭の風景

JR大阪駅の中央口を出て、コンコースから右手の中央南口へと進む。駅舎となかば一体化した、巨大なサウスゲートビルディングの通路を抜けると、そこは「大阪駅前」の交差点だ。

ドイツの思想家ヴァルター・ベンヤミンは、初めてモスクワを訪れた際、次のように述べたことがある。

すでに駅前で、モスクワの街はその姿を提示しているように思われる。キオスク、アーク灯、家屋群が結晶して、二度と回帰しない形象となる。(「モスクワ」)

たしかに大阪に関しても、昭和30年代末、「大阪駅についたとき、ただちに展開するキタの景観は、そのままに大阪の象徴として印象づけられるであろう」、と述べた人物もいた(宮本又次「キタ」)。

Our Planet 背表紙
Created with Sketch. 自然の知恵

砂漠が自然界に必要な理由

世界各地で砂漠化の進行が深刻だ。だが、砂漠=不毛の地というイメージは間違いだ。本来の砂漠は自然界になくてはならない存在で、アマゾンの密林も大西洋のサケも砂漠に養われているという。どういうことだろうか?

アフリカ南西部のナミブ砂漠は世界最古の砂漠だ。5000万年以上も昔から乾燥した世界が広がっている。この砂漠と比べたら、6000年前にはみずみずしい緑に覆われていたサハラ砂漠など、新参者のように思える。ナミブ砂漠は極限の世界でもある。気温は60°Cに達し、砂丘の高さは300メートルを超える。生息しているのはこの世界に適した生物だ。ナミブ砂漠の植物3500種のうち、半分はここでしか見られない。ウェルウィッチアという低木には葉が2枚しかないが、1000年も生きることができ、たまに雨が降ると勢いよく生長する。

ナミブ砂漠には、ヘビからシマウマ、ノガン、そして乾いた砂を泳ぐように進むチチュウカイモグラに至るまで、あらゆる動物の砂漠バージョンが生息している。大型のレイヨウであるオリックスは、体温45度まで耐えられる。全身に細い血管が巡り、脳に向かう血液が冷やされるなど、生理的にも行動面でも暑さに適応しているからだ。

砂漠に生息しているゾウの個体群は、足がとても大きいという特徴がある。砂地を歩くために適応したのだろう。水気の多い植物を求め、何日も水を飲まずに歩ける。砂漠のゾウは賢い。家族単位は平均より小さく、母親は干上がった河床の下に隠れている水の見つけ方や、食べられる植物が生えている遠い場所などを子どもに教える。こうした文化知識があるからこそ、この個体群は砂漠で生き延びていけるのだ。

普遍論争 背表紙
こころの知恵

ドゥルーズがこだわった「存在の一義牲」

哲学史では、唯名論と実在論の対立として整理されてしまう「普遍論争」ですが、そう簡単な話ではありません。論争の登場人物たちの議論を掘り下げていくと、実は、「共約不可能性」や「意味」の理論などに現代哲学に通底する問題に取り組んでいたということが分かってきます。そこから逆に、「存在の一義性」のような中世哲学のキー概念理解の糸口が得られます。

偶有性は、ポルフュリオスの定義によると、〈あるものに消滅をもたらすことなく去来するもの、ないし同一のものにおいてあることもあらぬこともできるもの〉となります。例えば、肌が白いとか、髪が黒いとかいうのは、偶有性です。偶有性が変化しても、実体は変わらないということです。つまり、偶有性とは変化するものなのです。他方、実体は同一にとどまり、変化しないものです。

ところで、感覚の対象は変化するものです。感覚されるもので、変化することなく、永遠に同一にとどまるものも、もしかしたらあるかもしれませんが、伝統的には感覚されるものは変化するとされていました。他方、知性の対象は永遠で不変なものです。

そして、ここから〈実体は知性によって直接認識されることはなく、偶有性を介して間接的に認識される〉という格率が生まれたのです。〈見えるもの〉が感覚可能なもの、〈見えざるもの〉が感覚不可能なものとすると、偶有性と実体の間には〈見えるもの〉と〈見えざるもの〉の図式が成り立つことが分かります。

神聖天皇のゆくえ 背表紙
社会の知恵

なぜ天皇は国民に崇敬されるのか?「軍神乃木将軍」が果たした役割

なぜ天皇はかくも大きな存在になったのか。戦前に、天皇のためにわが身を捧げる軍人が理想的人格として讃えられる際、圧倒的に強力なモデルとなったのが乃木希典だった。神聖天皇が広く国民に共有される明治末以降、軍神乃木将軍の果たした役割とは?

乃木希典と旅順攻略戦

乃木の天皇崇敬は長州萩の松下村塾の尊王の志士たちを育てた吉田松陰(よしだしょういん)(1830~59年)の「天下は万民の天下にあらず、天下は一人(天皇)の天下なり」という一君万民思想とも近く、水戸学の会沢正志斎や神道家の真木和泉(まきいずみ)などの尊王攘夷の思想をそのまま引き継いでいます。その殉死にともなって天皇の忠臣としてのエピソードが新聞などで盛んに取り上げられ、情的で濃厚な忠誠心というものが国民の心に強く刻まれていくことになりました。

日露戦争から乃木が凱旋入京したのは1906(明治39)年の1月14日です。乃木は直ちに皇居に参内し、明治天皇に対し「復命書」を奏上しました。旅順攻略と奉天会戦での戦績を淡々と述べた後、自らの感懐を述べる段に入ります。まことに感動的なものです。

こころの人類学 背表紙
こころの知恵

神、熊、人間、すべてが一つになるアイヌの熊祭り

アイヌ文化を特徴づける熊祭り(イオマンテ)の本当の意味とは何か? 狩猟、信仰、自然観、共生の思考やおもいやりのこころ、すべてが凝縮されたこの儀礼を、半世紀にわたって世界中を旅した人類学者が考える。

†「神の肉」を共食する

飼育された子グマの熊祭りにおいて、子グマが広場をめぐり、矢を射られ、二本の丸太により絞殺されるという狩猟の場面が演じられ、その後、肉体から分離したカムイはクマの両耳の間に座っていると考えられ、賓客として祈りと供物を捧げられる。すなわち、ここではクマを殺すことと、賓客として迎えるという相互に矛盾する行為が、クマは動物であると同時に人格であるという初原的同一性の論理により正当化され、その過程がまるで演劇のように演じられ、人びとはこの活動に自ら参加する。そして、アイヌとカムイとは共有される時間と空間においてこの祝宴を享受するのである。

さらに、熊祭りにおいて、ある若者はクマの真似をし、儀礼の過程を再び演じる。この「アイヌ(人間)・ペウレップ(子グマ)」と呼ばれる遊戯の演者は社会的に認められたシャマンではなく、むしろ変人や元気な若者が選ばれるという。しかし、クマと人間との変換という意味で、その本質はシャマニズムと類似する。ここで重要なことは、人間がクマとなる演出で、子グマがカムイという人格に変換されたのと逆方向の変換により、カムイとアイヌとの本質的同一性が表現されることである。子グマに晴着を着せ、耳飾りをつけ、さらには神送りのため叉木に飾りつけをした頭骨を掲揚し、着物を着せて踊らせることは、目に見えぬカムイさえも本来は人間の姿をしていることの演出である。

言語学講義 背表紙
社会の知恵

日本では、言語政策・言語計画がほぼ欠落している

日本語話者が多い日本においては、国家と言語の関係を考える機会は意外と少ない。日本語は公用語ではない、話す言語を選ぶ権利、日本語は滅びるのか、国家による言語純化政策、など切り口が実はたくさんあるのだ。

†日本語は消滅するのか?

危機言語というと、「日本語は大丈夫か」と心配する人がいる。

日本人は意識していないことが多いが、日本語は大言語である。母語話者はゆうに1億人を超えている。母語話者数のランクでは、母語話者の基準が異なるため何種類かのデータがあるが、10億人を超える中国語には及ばないものの、6000以上ある言語の中でだいたいトップ10くらいに位置している。母語話者数だけなら、ドイツ語やフランス語よりも多いくらいだ。

もちろん、英語・スペイン語・アラビア語・ポルトガル語・ヒンディ語・ベンガル語を母語にする人は日本語母語話者より多い。外国語としての人気は国によって違い、英語圏以外では英語が圧倒的なトップであるものの、外国語学校や中等・高等教育での学習者数・開講数を見ると、日本語はだいたいどの地域でも10位以内に入っている。こういった状況を踏まえると、日本語が「大言語」というカテゴリーに入ることは論じるまでもなく、当面は「危機言語」になることは考えられない。

移民とともに 背表紙
社会の知恵

統計は、自由になるための道具。

嘘の数字、詭弁、フェイクニュースを見破るために! フランスが誇る人口統計学者が、「数値を正面から見据える」統計学のほんとうの効用をアドバイス。

われわれの社会では具体的な教育や実践が不足しているため、統計文化(しばしば数学文化と間違えられる)がいまだに欠如している。事実確認や信頼できる数字を求めるニーズの高まりからもわかるように、統計文化は公的討論にゆっくりと浸透している。統計学を、支配、操作、競争の道具だと疑う人々もいる。それを解放の道具にするのが、われわれの役目だ。統計学は歴史の研究と並んで、世界を概観するための貴重な道具である。われわれは統計学を利用して、おおよその大きさを知り、現象の本当の比率を把握し、表象を計測し、比較する。こうしてわれわれの視界は広がるのである。

オーストリア系のアメリカ人哲学者アルフレッド・シュッツの理論によると、社会の関与者は「街の歩行者」のようなものだという。すなわち、その人のもつ場所や道順に関する知識は、個人的な経験に基づいているという意味だ。研究者は、洗練された民俗学的な手法を使ってそうした経験を把握することができる。しかし、そのようにして得る知識がわれわれの日常生活においては重要だとしても、われわれは自分たちの地区の慣れ親しんだ路地において、つまり、「ミクロ」な規模で退屈しながら暮らす必要はない。教育と科学を利用すれば塔の頂上に上り、街を一望できる。すると、われわれの視野は「ミクロ」から「マクロ」へと拡大する。われわれは、長年にわたって王国の特権だった概観するという行為を、わが物にすることができるようになる。私が語るのは、城の主塔でなく街にある自由に上り下りできる塔である。誰もが統計を理解し、利用できるようになれば、統計は自由になるための道具になるのだ。

ナショナリズム 背表紙
社会の知恵

明治維新が招いた日本人の「精神的奴隷化」

「日本には政府ありて国民なし」、これは福沢諭吉の言葉です。お上の言うことに唯々諾々と従いがちな日本人のメンタリティ。まさに現代にも連なるその宿痾の起源は、じつは明治維新にあったのではないかと指摘します。

維新後の民衆の大部分は、いぜんとして幕藩体制下の生活感覚を維持しながらわずかに「太政官」の方に顔を向けるときにだけ、新しい国民の身ぶりを示すという偽善性をあらわしていた。要するに、彼らの生活実感の内部では、維新の変革によって生ずべき新しい統合理念が意識されるということはなかった。

廃藩置県に際し、「当時吾々同友は三五相会すれば則ち相祝し、新政府のこの盛事を見たる以上は死するも憾みなしと絶叫したるものなり」(『福翁百余話』)というほど、封建制の廃除に歓喜した福沢は、それ以後の日本が封建時代と少しもかわらぬ専制主義と、民衆の側のいぜんたる奴隷根性とによって成り立っていることを痛歎しなければならなかったわけである。もともと、ネーションの意志決定のための機関として国家=政府があるのが正常な姿なのに、ここでは逆に政府がその存立を専制的に立証する手段として「国民」があるという形になっている。福沢の生涯の目標の一つは、この民衆をして真のネーションたらしめんとすることにあった。もちろん、福沢のいう国民の理念は、きわめて深く国家の理念と結びついており、無条件にそれを近代的ネーションと同一視してよいか否かは、すこぶるむずかしい問題をはらんでいるのだが──。

社会の知恵

〈令和〉への改元を前に、〈平成〉は〈昭和〉から何を学んだのかを考える

新たな元号〈令和〉も発表され、いよいよ平成が終わることとなる。平成は後世どのように総括されるのだろうか? 昭和との因果関係をふまえ、平成という時代の深層を読み、ふたつの時代のキーワードを検証する。

昭和と平成、それぞれのキーワード

今、改めて〈平成〉は〈昭和〉から何を学びとっているのか、それを整理しておくことにしたい。そのためにある手法を用いて昭和と平成を考えてみる。まずは昭和論なのだが、昭和という時代には三つのキーワードがある。その三つとは次のようなものである。

(一)天皇(戦前の神格化天皇、戦後の人間天皇、あるいは象徴天皇)
(二)戦争(戦前の軍事主導体制、戦後の非軍事体制)
(三)臣民(戦前の一君万民主義下の臣民、戦後の市民的権利をもつ市民)

昭和とはいずれにしてもこの三つのキーワードで語りつくすことができる。「戦後」という語には、この三つの「人間天皇」「非軍事体制」「市民」を仮託することができる。いうまでもなく昭和から平成というときの平成、あるいは元号という“句読点”を打ってみて前段と後段の後段を彩っているかどうかは、この三つのイメージが継承されているか否かを確かめる、それが平成論を考えるときの骨格のひとつである。このことを検証していくのが本稿の狙いでもあるのだ。