感情の正体 背表紙
こころの知恵

いじめを悪化させないアプローチ

教育の大問題に「いじめ」があります。加害者が絶対に悪いのは当然ですが、大人が一方的にそちらを責めても解決は難しいものです。では実効性ある対応とは何か。発達心理学によるアプローチを紹介しましょう。

いじめと感情

いじめはもちろん加害者に絶対的な問題があるわけですが、実効的な対応をするには、加害者の感情と、被害者の特徴から考えることが必要です。加害者と被害者が交代し合っているという特徴からも、双方の発達上における未熟さが背景にあります。

たとえば英国では、いじめの被害者に感情表現のスキルが発揮できていない、あるいは不足していると指摘する研究があります(Olweus, 1994/ Perry, Willard & Perry, 1990)。また、そうした感情スキルが不足していると、様々な心の問題を引き起こしてしまうこともあります(Neary & Joseph, 1994)。こうした視点を考慮することも必要でしょう。

家(チベ)の歴史を書く 背表紙
社会の知恵

それこそが就職差別であるにもかかわらず、それは差別としては認識されない

朴沙羅さんは卒論を書くためのインタビューで、伯父のライフヒストリーを聞いていました。ある質問をして伯父をきょとんとさせてしまい、「しまった、バカなこと聞いたな」と思ったそうです。

伯父さんは大阪に戻ってすぐに働きはじめた。ナットをつくる工場の雑役(ざつえき)という仕事だった。

──お仕事はどないして見つけはったんですか?

仕事見つけたんはね、私の同級生で、私よりもっと早よから働いてた人がおったわけや。んだら、彼の紹介で、彼が働いてたそこに知り合いの人がおって、挨拶、一回面接行ってみと、ということで行ったら、もうその当時は、おじさんは誰が見ても、いまでもまあそこそこ、見かけ倒しやないけど健康そのものやし、その当時も、もう体も大きいし、雑役もってこいの、相手にはものすごく好かれたわけや。 (2007年10月7日)

ここで私は、就職差別はなかったかと質問した。伯父さんはきょとんとした顔ですぐにこう答えた。

そら特殊な技能の、例えば技術持ってるとか、商社や銀行員とか、そこらは難しいよ。頭いる職業には、まあ行きもせんし、相手も面接しても使こてくれへんし。

死体は誰のものか 背表紙
Created with Sketch. 自然の知恵

チベット族はなぜ鳥に死体を食べさせるのか?

死体を鳥に食べさせるという、チベットに特有の文化「天葬」。そうした不思議な文化の根底には、どのような価値観や考え方があるのだろうか。世界における死生観の多様性について考える。

†チベット族の重層的な信仰

私が天葬について、チベット族から直接に話を伺った場所は、中国の青海省黄南チベット族自治州同仁県に属するランジャと呼ばれる村であった。州名に「黄南」とあるように、この地域は黄河の上流部の南に位置する。またこの地域はチベット語で、レプゴンと呼ばれる。天葬についてフィールドワークを行ったガザンジェも、この地域で調査を行った。

ランジャ村には、黄河支流の隆務河のほとりの高台の上に、7つの集落が点在している。2003年夏から2007年夏までの期間、演劇研究者の細井尚子、民族音楽研究者の山本宏子と3名で、短期間の調査を繰り返した。

この村の興味深い点は、信仰が重層的なところである。古層から順番に挙げると、まず山の神が、ハワ(あるいはラッワ)と現地で呼ばれるシャーマンに憑依して、村人の多産と大地の豊作を祈念する儀式を司るという、土俗的、アニミズム的な信仰が最底辺にある。

ムッソリーニ 背表紙
社会の知恵

可能性としてのファシズム

諸国における経済格差が広がる中、ポピュリズムとともにファシズムへの関心が再び高まっている。ファシズムの主導者、ベニート・ムッソリーニの生涯は、この問題を考えるにあたりいくつもの示唆を与えてくれる。なぜこの思想が生まれたのか。卓越した日本語によってその知的背景を描く。

ムッソリーニの政治的成熟の時代は、彼の二十代初期のスイス滞在期であった。そこで彼はローザンヌ大学で教鞭を執っていたイタリアの経済・社会学者のパレートに接した。人間行動における非合理的な側面を重視し、歴史を動かすのは力(暴力)であると見ていたパレートの主張はムッソリーニの感情的な革命主義に論理上の根拠を与え、後にファシズムの歴史観となった。また、彼はパレートの提唱するエリートの周流説に決定的な影響を受け、その結果、エリートが政治闘争の主役であるという確信は自分の思想の中核となった。そして、パレートに従って、マルクス主義の階級闘争もエリートの交代として解釈するようになった。

スイスでフランスの革命的サンディカリストの理論家、ソレルの『暴力論』も読んだ。ソレルも人間の非合理的な側面を重視し、大衆の社会行動を心理的な観点から分析した。ソレルからは大衆動員のための、感情的な要素に基づいた確信(政治的ミュトス〔神話〕)の重要性について教わった。パレートとソレルは政治家としてのムッソリーニの性格の二つの側面を象徴するといえよう。政治闘争を、政権を獲得するための力の行使として理解したパレートの哲学は策士としてのムッソリーニの冷静な行動に実現され、政治的ミュトスを分析したソレルの論理は指導者としてのムッソリーニの情熱に発揮された。

「日本人」力 九つの型 背表紙
Created with Sketch. 働き方の知恵

AIと人間が共存する方法とは?

AI(人工知能)の進化が人間のそれを上回る「シンギュラリティ(技術的特異点)」が訪れると予測されているが、そのとき人類は終焉を迎えるのか? 人類とAIにどんな未来が待ち受けるのかを齋藤孝先生に語ってもらいました。

いまはAI(人工知能)が発達し、人の仕事を奪うと考えられています。そういう未来をおそれている方もいらっしゃるかもしれませんが、世界の変化に対応する「日本人」力を私たちは持っていると思います。

日本人の対応力は非常に柔軟性に優れていて、急な変化を恐れません。たとえば文部省が近代学校の学制を敷いたのが明治五年ですが、そのとき、西洋の学問一本でやると決定したのが、佐賀藩出身の江藤新平(1834~1874)と大木喬任(1832~1899)の二人でした。

当時、日本には国学や漢学もありました。彼らは漢学にも優れた知識があったのに、それをひとまずきっぱりと捨てて西洋の学問、すなわち実学で行くという方針を決めたのです。捨てるときには、以前のものを躊躇なく切り捨てられるのが「日本人」力です。たとえば新美南吉(1913~1943)の『おじいさんのランプ』は、そうした事情を詩情豊かに描いています。

大阪 背表紙
社会の知恵

梅田は東京の匂いがする?

「キタ」(梅田界隈)が東京的で、「ミナミ」(難波界隈)が大阪的? 地理学者が文学作品と漫歩から大阪の街を読みときます。

1 梅田の都市景観

駅頭の風景

JR大阪駅の中央口を出て、コンコースから右手の中央南口へと進む。駅舎となかば一体化した、巨大なサウスゲートビルディングの通路を抜けると、そこは「大阪駅前」の交差点だ。

ドイツの思想家ヴァルター・ベンヤミンは、初めてモスクワを訪れた際、次のように述べたことがある。

すでに駅前で、モスクワの街はその姿を提示しているように思われる。キオスク、アーク灯、家屋群が結晶して、二度と回帰しない形象となる。(「モスクワ」)

たしかに大阪に関しても、昭和30年代末、「大阪駅についたとき、ただちに展開するキタの景観は、そのままに大阪の象徴として印象づけられるであろう」、と述べた人物もいた(宮本又次「キタ」)。

Our Planet 背表紙
Created with Sketch. 自然の知恵

砂漠が自然界に必要な理由

世界各地で砂漠化の進行が深刻だ。だが、砂漠=不毛の地というイメージは間違いだ。本来の砂漠は自然界になくてはならない存在で、アマゾンの密林も大西洋のサケも砂漠に養われているという。どういうことだろうか?

アフリカ南西部のナミブ砂漠は世界最古の砂漠だ。5000万年以上も昔から乾燥した世界が広がっている。この砂漠と比べたら、6000年前にはみずみずしい緑に覆われていたサハラ砂漠など、新参者のように思える。ナミブ砂漠は極限の世界でもある。気温は60°Cに達し、砂丘の高さは300メートルを超える。生息しているのはこの世界に適した生物だ。ナミブ砂漠の植物3500種のうち、半分はここでしか見られない。ウェルウィッチアという低木には葉が2枚しかないが、1000年も生きることができ、たまに雨が降ると勢いよく生長する。

ナミブ砂漠には、ヘビからシマウマ、ノガン、そして乾いた砂を泳ぐように進むチチュウカイモグラに至るまで、あらゆる動物の砂漠バージョンが生息している。大型のレイヨウであるオリックスは、体温45度まで耐えられる。全身に細い血管が巡り、脳に向かう血液が冷やされるなど、生理的にも行動面でも暑さに適応しているからだ。

砂漠に生息しているゾウの個体群は、足がとても大きいという特徴がある。砂地を歩くために適応したのだろう。水気の多い植物を求め、何日も水を飲まずに歩ける。砂漠のゾウは賢い。家族単位は平均より小さく、母親は干上がった河床の下に隠れている水の見つけ方や、食べられる植物が生えている遠い場所などを子どもに教える。こうした文化知識があるからこそ、この個体群は砂漠で生き延びていけるのだ。

普遍論争 背表紙
こころの知恵

ドゥルーズがこだわった「存在の一義牲」

哲学史では、唯名論と実在論の対立として整理されてしまう「普遍論争」ですが、そう簡単な話ではありません。論争の登場人物たちの議論を掘り下げていくと、実は、「共約不可能性」や「意味」の理論などに現代哲学に通底する問題に取り組んでいたということが分かってきます。そこから逆に、「存在の一義性」のような中世哲学のキー概念理解の糸口が得られます。

偶有性は、ポルフュリオスの定義によると、〈あるものに消滅をもたらすことなく去来するもの、ないし同一のものにおいてあることもあらぬこともできるもの〉となります。例えば、肌が白いとか、髪が黒いとかいうのは、偶有性です。偶有性が変化しても、実体は変わらないということです。つまり、偶有性とは変化するものなのです。他方、実体は同一にとどまり、変化しないものです。

ところで、感覚の対象は変化するものです。感覚されるもので、変化することなく、永遠に同一にとどまるものも、もしかしたらあるかもしれませんが、伝統的には感覚されるものは変化するとされていました。他方、知性の対象は永遠で不変なものです。

そして、ここから〈実体は知性によって直接認識されることはなく、偶有性を介して間接的に認識される〉という格率が生まれたのです。〈見えるもの〉が感覚可能なもの、〈見えざるもの〉が感覚不可能なものとすると、偶有性と実体の間には〈見えるもの〉と〈見えざるもの〉の図式が成り立つことが分かります。

神聖天皇のゆくえ 背表紙
社会の知恵

なぜ天皇は国民に崇敬されるのか?「軍神乃木将軍」が果たした役割

なぜ天皇はかくも大きな存在になったのか。戦前に、天皇のためにわが身を捧げる軍人が理想的人格として讃えられる際、圧倒的に強力なモデルとなったのが乃木希典だった。神聖天皇が広く国民に共有される明治末以降、軍神乃木将軍の果たした役割とは?

乃木希典と旅順攻略戦

乃木の天皇崇敬は長州萩の松下村塾の尊王の志士たちを育てた吉田松陰(よしだしょういん)(1830~59年)の「天下は万民の天下にあらず、天下は一人(天皇)の天下なり」という一君万民思想とも近く、水戸学の会沢正志斎や神道家の真木和泉(まきいずみ)などの尊王攘夷の思想をそのまま引き継いでいます。その殉死にともなって天皇の忠臣としてのエピソードが新聞などで盛んに取り上げられ、情的で濃厚な忠誠心というものが国民の心に強く刻まれていくことになりました。

日露戦争から乃木が凱旋入京したのは1906(明治39)年の1月14日です。乃木は直ちに皇居に参内し、明治天皇に対し「復命書」を奏上しました。旅順攻略と奉天会戦での戦績を淡々と述べた後、自らの感懐を述べる段に入ります。まことに感動的なものです。

こころの人類学 背表紙
こころの知恵

神、熊、人間、すべてが一つになるアイヌの熊祭り

アイヌ文化を特徴づける熊祭り(イオマンテ)の本当の意味とは何か? 狩猟、信仰、自然観、共生の思考やおもいやりのこころ、すべてが凝縮されたこの儀礼を、半世紀にわたって世界中を旅した人類学者が考える。

†「神の肉」を共食する

飼育された子グマの熊祭りにおいて、子グマが広場をめぐり、矢を射られ、二本の丸太により絞殺されるという狩猟の場面が演じられ、その後、肉体から分離したカムイはクマの両耳の間に座っていると考えられ、賓客として祈りと供物を捧げられる。すなわち、ここではクマを殺すことと、賓客として迎えるという相互に矛盾する行為が、クマは動物であると同時に人格であるという初原的同一性の論理により正当化され、その過程がまるで演劇のように演じられ、人びとはこの活動に自ら参加する。そして、アイヌとカムイとは共有される時間と空間においてこの祝宴を享受するのである。

さらに、熊祭りにおいて、ある若者はクマの真似をし、儀礼の過程を再び演じる。この「アイヌ(人間)・ペウレップ(子グマ)」と呼ばれる遊戯の演者は社会的に認められたシャマンではなく、むしろ変人や元気な若者が選ばれるという。しかし、クマと人間との変換という意味で、その本質はシャマニズムと類似する。ここで重要なことは、人間がクマとなる演出で、子グマがカムイという人格に変換されたのと逆方向の変換により、カムイとアイヌとの本質的同一性が表現されることである。子グマに晴着を着せ、耳飾りをつけ、さらには神送りのため叉木に飾りつけをした頭骨を掲揚し、着物を着せて踊らせることは、目に見えぬカムイさえも本来は人間の姿をしていることの演出である。