99%の人が速くなる走り方 背表紙
身体の知恵

スピードを伸ばす正しい走り方

さあ走ろう!って簡単にいいますが、「全力で走る」を毎日繰り返すうちに、身体は徐々に適応していきます。ある程度、自分なりの走り方に慣れてしまったら、そうそう簡単に速くなりません。そういうものです。もう一度、丁寧に話しますね。

練習を始める、毎日繰り返しダッシュをする
 ↓
最初は速くなる
 ↓
しだいに身体は強くなる
 ↓
さらに耐久性もつく
 ↓
しかし速さは、あまり変わらなくなる
 ↓
身体が大きくなったら、体重増で遅くなることもある

三段論法どころか、六段論法ですね。この六段論法ですが、スポーツの世界では、案外よくあります。実際に、アメリカのある大学フットボール部の論文では、筋力がついた、体重も増えた、パワーも上がった、しかし40ヤード(約37m)の走力は変わらない、と発表されました。ボクはアメリカの大学で具体的にどのような目的をもって、どう練習をしているかは知りませんが、スピードはつかないなんて、そんなことはありません。断言します。正しい認識の下で練習をすれば、体重も増える、パワーも上がる、30m、50mの走力もつきます。

自衛隊と憲法 背表紙
社会の知恵

改憲議論の前に知っておきたい、国際法における武力行使の解釈

19世紀の国際法では、主権国家が他の主権国家に対して武力行使することそれ自体は違法ではありませんでした。もちろん、当時の国際法でも、「武力行使やりたい放題」というわけではありません。奇襲攻撃、捕虜の虐待、民間人の虐殺などは国際法違反とされていました。ただ、きちんと宣戦布告の手続きを踏み、戦時国際法のルールを守りさえすれば、武力行使それ自体は適法とされていたのです。このため、植民地の獲得、借金の回収、資源の獲得、軍事的優位を維持するための先制攻撃など、様々な目的で武力が行使されました。

ここで、「戦争」という用語について確認しましょう。日常用語として使われる場合、「戦争」という言葉は、広く人と人との争いを意味します。「受験戦争」とか「クリスマスは百貨店にとって戦争だ」といった使い方のように、身近な争いや非常事態を指すこともあります。「湾岸戦争」や「ベトナム戦争」のように、国家同士の戦いを意味することもあります。

他方、法律用語としての「戦争」は、「相手国が自国や他国を侵略していない状況でなされる、宣戦布告を経た武力行使」という意味で使われることが多いです。後で説明するように、現代の国際法では、侵略をしていない国にこちらから手を出すタイプの武力行使は全て違法ですから、「戦争」は一切許されません。政府は、2015年安保法制のことを「戦争法案」と呼ばれるのを嫌がりましたが、それも、この法制が国際法違反の「戦争」を正当化するものではなかったからでしょう。

聞書き 遊廓成駒屋 背表紙
社会の知恵

モノが語る遊廓の真実

私が「成駒屋」(名古屋の旧中村遊廓)の解体現場に行ったとき(昭和52年)、すでに玄関まわりはほとんど片づけられてしまっていたので、入手できたのはわずかに看板と行灯だけであった。

その看板は、ガラスに勘亭流(かんていりゅう)(歌舞伎の看板や相撲の番付などに使う書体)の赤文字で「成駒屋」と記されたものである。もちろん、ガラスは、木枠で囲われている。

大きさは、一尺五寸(約45センチ)と一間(約180センチ)。本来は、玄関表の鴨居の上にはめられていた。

行灯は、玄関の両わきの壁にとりつけられていたものと、看板を照らすべく軒にさげられていたものである。

イヴァナ・チャバックの演技術 俳優力で勝つための12段階式メソッド 背表紙
こころの知恵

30秒で「片思い」を成就させる! ハリウッド演技指導者のメソッド

人を恋に落ちさせ、友人としての絆を育ませる感情面での結びつきは、二人とも赤が好き、二人ともスキーが好き、といったところから生まれるわけではありません。最も強烈な感情の結びつきは、痛みの共有から生じる絆です。これが意味するのは、二人ともが感情の痛みを体験しており、その痛みに触れた両者は、根源的な同じような方法で対応したということです。あなたの過去を遡り、あなたの恋人や友人の傾向を見ると、トラウマやトラウマへの反応に、あなたと似たような傾向があることがわかります。

● あなたたち二人とも、人生の早い段階で、愛する人の死に目にあっている。
● あなたたち二人とも、親や兄弟姉妹によって肉体的あるいは精神的虐待を受けた。
● あなたたち二人とも、家族の一員によって見捨てられた経験がある。
● あなたたち二人とも、心をかき乱されるような過去があり、そのために中毒者になっている。
● あなたたち二人とも、元配偶者による浮気を体験している。
● あなたたち二人とも、痛みを伴う両親の離婚を経験している。
● あなたたち二人とも、自分自身が、あるいは親しい人が、命に関わる病気にかかった経験がある。
● あなたたち二人とも、似たような子供時代の体験があり、同じ不安感を抱えている。ルックスがそれほど良くない、頭がそれほど良くない、力があまり強くない、など。
● あなたたち二人とも、何らかの肉体的なハンディキャップを抱えている。
● あなたたち二人とも、関係の薄いアル中(それ以外の中毒も可)の父親、あるいは母親がいた。
● あなたたち二人とも、溺愛する過保護な母親、あるいは父親がいる。
● あなたたち二人とも、人生の逆境を生き延びるために同じ行動手法(MO)を使う。

遺伝人類学入門 背表紙
Created with Sketch. 自然の知恵

現生人類はネアンデルタール人と混血していた

†ネアンデルタール人は本当に滅びたのか

分子時計を利用すると、アフリカ人と非アフリカ人を含むクラスターの分岐が約10万年前と計算されました。遺伝子の分岐年代は集団の分岐よりも古いと考えられるため、現生人類の誕生は古く見積もっても10万年前、アフリカから現生人類が外へ出たのは、10 万年前よりは新しい出来事と考えられます。最近のゲノム全体の情報を用いた研究では、現生人類の出アフリカは7万〜6万年前と言われています。そして少なくとも1万3000年〜4000年前には、人類はアメリカ大陸へも進出したと考えられています。

このように人類は、非常に短い時間で地球上のあらゆる大陸に拡散していきました。器用に火を使い、また、狩りなどで得た獲物から加工した毛皮を身に纏っていたことが幸いして、寒い所にも適応することができたと考えられています。ホモ・サピエンスはその類まれな適応力により、驚異的な速度で世界中に広まった生物種であると言えます。

アフリカ大陸で誕生した祖先はヨーロッパ、東アジア、オーストラリア、そしてアメリカ大陸に拡散しました。アフリカ単一起源説に基づくならば、現生人類が東アジアや東南アジアに辿り着く前からそこに住んでいた北京原人やジャワ原人は絶滅したことになります。

謎床 背表紙
社会の知恵

日本型コンピュータの最新形態は「見立て」が生み出す。

▼日本型ポジティブ・コンピューティングをつくる──寄物陳思メソッド

ドミニク ステラークのようなぶっ飛んだ例ではないものをあげるとすると、いまちょうどNTTコミュニケーション科学基礎研究所にいる渡邊淳司さんたちと『Positive Computing』(邦訳『ウェルビーイングの設計論』)という本を翻訳しています。どのような内容かというと、ウェルビーイングの心理学をインターフェース工学が取り込むという話です。これまでのありとあらゆる人間の感情を計測したり、そこに介入する技術を総括し、心理的なセラピーにとどまらず、人間の心理的な潜在能力を引き出すための情報システムとして設計の可能性を探っていきます。そのうえでそれらを商業システムや社会起業の中にどう取り込むかということを、網羅的かつ包括的に考える研究が始まっています。

僕も個人的にこの流れに沿って、今、日本型ポジティブ・コンピューティングというものをつくれないものか、と考えています。

松岡 おっ、いよいよ始まった。

イヴァナ・チャバックの演技術 俳優力で勝つための12段階式メソッド 背表紙
こころの知恵

ハリウッドセレブたちは知っている、人生で成功するために必要な12のテクニック!

二〇〇〇年以上も昔、アリストテレスは、人が勝つための葛藤こそが、あらゆるドラマのエッセンスであると定義しました。あらゆる障害物や人生の葛藤を克服して勝つことこそが、ダイナミックな人間をつくるのです。キング牧師、スティーヴン・ホーキング、スーザン・B・アンソニー、ヴァージニア・ウルフ、アルバート・アインシュタイン、ベートーヴェン、マザー・テレサ、ネルソン・マンデラ……こういった人たちは全員、自分たちのゴールを達成するためには、人生のなかで、打ち勝ちがたい葛藤を克服しなければならなかったのです。実際、障害が大きければ大きいほど、その障害を克服すべく、彼らはより大きな情熱を自分のなかから引き出し、より深遠なる偉業や貢献を成し遂げたのです。彼らは、試練があったにもかかわらず、驚くほど優れた人間になった──というのではないのです。逆に、試練があったおかげで、そのような人間になったのです。役作りをする際に私たちが再現したいのは、まさにその性質です。逆境にもかかわらず勝とうとしている人を見るほうが、人生の苦悩に耐えることをよしとしている人を見るよりも、断然、魅入られるでしょう。勝者になるためには、実際に勝つ必要はありません。勝者はあきらめないのです。敗者は敗北を受け入れます。

自分を良く知れば知るほど、あなたはより良い俳優になります。あなたは、あなたの動機について、深く理解している必要があります。この12個の演技ツールは、あなたが自分の魂の奥深くまで堀り下げ、私たちの誰もが持っている、ありとあらゆる素晴らしい悪魔たちを明るみに出し、その通り道を作ってあげることを助けます。あなたのダークサイドや、トラウマ、信念、優先順位、恐れ、あなたのエゴを突き動かすもの、あなたに恥だと感じさせるもの、あなたのプライドを発動させるものこそが、あなたの個性であり、あなたの俳優としての絵の具なのです。

「日本人」という、うそ 背表紙
こころの知恵

謙虚に見せるのは、日本人の戦略だった

日本人の「ホンネ」を探る

日本人が匿名状態の実験であっても、自己卑下の傾向を示してしまうのは、おそらくこうしたデフォルト戦略が選択されたためではないか、というのが私の考えた仮説です。

普通の人にとっては心理学の実験を受けるのは経験のないことなのですから、どう行動すべきかについて判断に迷うのは、むしろ当然なのかもしれません。たとえ匿名性が保証されていると言われても、それを信じて素直にホンネをさらけ出せる人は案外少なくて、「とりあえず」「無難な」戦略として、卑下することにしたのではないかというのが私の推測でした。

しかし、それで匿名状態で日本人が卑下する傾向を見せることが説明できたとしても、いったいどうすれば自己卑下という「デフォルト戦略」を発動させることなく、実験参加者に「ホンネ」をさらけ出してもらうことができるでしょうか。

進歩 背表紙
社会の知恵

破滅と悲惨の未来図、それホント? 正しいデータで見る人類史

私もかつてはかれらの悲観論を共有していた。1980年代に私が世界観を形成し始めたとき、現代文明を受け入れるのはむずかしいと思えた。工場、高速道路、スーパーマーケットは悲惨な光景であり、現代の労働生活はひたすらドタ作業でしかないように思えた。私はこの新しい世界的な消費者文化を、テレビがみんなの居間にもたらした世界の貧困と紛争の問題に結びつけた。それにかわるものとして、私は時計の針を戻した社会を夢見た。人々が自然と調和して暮らした社会だ。産業革命以前、薬も抗生物質も安全な水も十分な食料も、電力も衛生システムもなしに人々が暮らしていた実際の状態については考えなかった。むしろ、それが現代の田舎散策に近いものだと思っていた。

調査の一環として、私は歴史研究を読み、世界中を旅し始めた。そして古きよき日々の本当の姿を理解し始めたら、もはやそれをロマンチックに思い描くことはできなくなった。私が研究対象とした国の一つは、慢性的な栄養失調を体験していた──平均的なサブサハラアフリカ国よりも、貧しく、期待寿命も短く、子供の死亡率も高かったのだ。その国というのは、150年前の私の祖先が暮らしていたスウェーデンだ。本当のことを言うなら、時計の針を本当に戻したら、古きよき日々というのは実はひどいところだったのだ。

ニュースや多くの識者が何を言おうと、現代のすばらしい物語は、私たちが史上最高の世界的な生活水準改善を目撃しているということだ。貧困、栄養失調、非識字率、児童労働、幼児死亡率は、人類史の他のどんな時期よりも急速に減りつつある。誕生時の期待余命は、過去1世紀で、それ以前の20万年と同じだけ増加している。ある個人が戦争にあい、自然災害で死亡し、独裁制にさらされるリスクは、これまでのどんな時代より小さくなった。今日生まれた子供は、先祖たちが5歳の誕生日を迎えたより高い確率で、引退年齢まで生き延びられる。

神道・儒教・仏教 背表紙
こころの知恵

我々の内面の問題を解く鍵は、江戸時代に潜む

†江戸時代の多様性

これから江戸時代の神道・儒教・仏教いわゆる三教と、この三教とともに江戸思想史を構成した蘭学(洋学)、キリスト教、民間信仰などについて、それらをひとつにまとめて、江戸時代の思想と宗教の全体像を述べてゆく。

江戸時代の思想と宗教の歴史的展開についてどういったイメージを持っているだろうか。目立つ項目を順に並べてみれば、キリスト教の禁教とキリシタンの弾圧、檀家制度によって幕藩体制に組み込まれた仏教、近世の思想界において主導的立場に立った儒教、国学の勃興と明治維新のイデオロギーとしての復古神道の登場、蘭学(洋学)の発展による西洋の科学思想の受容といったものが並び、さらには社寺参詣や流行神などの民間信仰の盛行も加えることができるだろう。

これら簡単に思いつく項目を挙げただけでも、江戸時代の思想と宗教とをひとまとめに語ることの難しさに気づかされるだろう。範囲が広すぎるのである。いま挙げた大項目から枝分かれし、あるいは取り囲み、さらに中、小の項目が存在している。語るべきことは縦にも横にもますます広がってゆく。

こころの知恵

100人に1人がサイコパス?!──身近な「冷血」とどう付き合うか

まず最初に、「サイコパスについての神話」に考察をめぐらせてみよう。

1 サイコパスとは、凶悪な連続殺人事件などに加担する者たちのことである

2 われわれの身近には、サイコパスはめったに存在しない

3 刑務所に収容されている犯罪者には、サイコパスが多い

4 サイコパスは、知能が高い

5 われわれは、サイコパスを見分けることができる

6 サイコパスは、悲惨な家庭環境で育った者が多い

7 サイコパスにも心を開いて接すれば、心を通わせることができる

名字の謎 背表紙
社会の知恵

誰も知らない日本人の名字の本当の数

日本に一体いくつの名字があるのかは、一〇万とも三〇万ともいわれ、はっきりしていません。こういうと、なぜそんな基本的なことがわかっていないのかと不思議がられます。

たしかに、日本にはしっかりとした戸籍制度がありますから、全国の戸籍をすべて調べれば名字の数などたちどころに判明します。しかし、プライバシーが尊重されている現在、個人で戸籍の調査をすることは不可能です。もし実行できるとしたら、国以外ありません。

知り合いの新聞記者にこの話をしたら、さっそく総理府(現・内閣府)に質問したそうです。すると「全国の名字の数を調べることで、国の政策に影響がもたらされるとは思えない」とのこと。たしかに名字の数がわかったところで、どんな法律や制度にもまったく関係ありません。税金の無駄づかい、といわれればそれまでですし、今後も国による調査は行なわれないでしょう。ちなみに、「姓」をとても大事にする韓国では国が調査を行ない、名字の数と、その名字を名乗る人口が確定しています。

脳はなぜ「心」を作ったのか 背表紙
こころの知恵

どうして「私」(という意識)が、「自分」(の肉体)に宿ったのか?

「私」と〈私〉の違いとは?

「意識」や「脳」、「身体」のような概念を、哲学者たちは「自分」「私」〈私〉のような言葉で表現する。「 」や〈 〉など、変なかっこの形で区別されると、慣れないうちは話が余計ややこしくなるような気がするかもしれない。しかし、最大の謎である「意識」の問題点をはっきりさせるためには、これらの定義をご理解いただく必要がある。人によっていろいろな定義があるのだが、ここでは一般的な定義のひとつを紹介しよう。

プロローグで書いた私の幼いころの疑問をこの章での定義を使って書くと、

「私」が「自分」に宿るのはわかるが、どうして〈私〉が「自分」なのかがわからない。

平和をつくるを仕事にする 背表紙
Created with Sketch. 働き方の知恵

僕らのチカラで世界は変わる!

僕らの日常生活の延長線上に、アフリカの紛争があることを自覚した時に、大きなショックを覚えるでしょう。

たとえば、テレビで世界中の貧しい国の子どもたちの姿が映し出された時に、「かわいそう」という憐憫の心が生じます。けれども、それは「私とは関係のないところで起きている」と捉とらえているから、そのような気持ちになれるのかもしれません。僕もそうでした。けれども、僕らの生活の中に、アフリカを始めとする世界各地の紛争の原因が、子ども兵が生み出される原因が含まれていると気付いたときに、同情や哀れみの想いではなく、痛みを覚えるのです。

僕らの身近なところで考えると、日常使っている、携帯電話やパソコンを始めとする電子機器に含まれるレア・メタル(希少鉱物)。コンゴ民主共和国では、レアメタルや、さまざまな鉱物資源をめぐる戦闘が今も続き、一説には5000人を超える18歳未満の子どもたちが、奥深いジャングルでの戦闘に従事させられているのです。そのような状況を、日ごろ使っている製品が生み出しているかもしれないのです。

大衆の反逆 背表紙
社会の知恵

「専門家」であることの罠

実験科学は十六世紀の末に始まり(ガリレオ)、十七世紀末に体系化をされ(ニュートン)、十八世紀の中葉から発展を開始した。あるものの発展は、その形成とは別のことであり、別種の条件に服しているのである。たとえば、実験科学の集合名詞である物理学の形成にあたっては、総合統一への努力を必要としたのであり、ニュートン及び彼の同時代人の仕事はその総合への努力であった。しかし、物理学の発展は、総合統一とはまったく逆の動きを要求した。科学が発展するためには、科学者が専門化する必要があったのである。ただし、あくまでも科学者であって科学そのものではない。科学そのものは専門主義的なものではない。もしそうならば、科学は事実上真実のものではなくなってしまうであろう。実験科学を総体的にとりあげたとしても、それを数学、論理学、哲学から分離してしまえばもはや真ではありえないのである。ところが、科学に関する労働は──不可避的に──専門化せざるをえない性質のものなのである。

物理学や生物学の歴史を、それらに従事している研究者の仕事がますます専門化する方向をとっている過程を中心に叙述してみることは、きわめて興味あることであり、一見したところよりはるかに有意義なことだろう。そうしてみれば、科学者が一世代ごとにますます狭くなる知的活動分野に閉じこもってゆく姿が明らかになるだろうからである。しかしわたしが提唱した歴史的記述がわれわれに教えてくれる重要なことはこのことではなく、どちらかといえばその逆のことなのである。つまり、科学者が、一世代ごとに自分の活動範囲を縮小してゆかなければならなかったために、徐々に科学の他の分野との接触を失ってゆき、宇宙の総体的解明から遠ざかっていった過程である。ところが、この宇宙の総体的解明こそが、ヨーロッパ的科学、文化、文明の名に値する唯一のものなのである。

専門化傾向が始まったのは、まさに、「百科全書派」的人間を文明人と呼んだ時からであった。十九世紀は、すでにその創造活動は個別化の性格を帯びてはいたが、いまだに百科全書的に生きていた人々の指導のもとに自らの運命を歩み始めた。ところが次の世代には、すでに重心が移動してしまっており専門化傾向が個々の科学者から総合的文化を追い出し始めたのである。そして第三の世代がヨーロッパの知的指導権を握った一八九〇年になると、歴史上前代未開の科学者のタイプが現われた。それは、分別(ふんべつ)ある人間になるために知っておかなければならないすべてのことのうち、一つの特定科学だけしか知らず、しかもその科学のうちでも、自分が積極的に研究しているごく小さな部分しか知らないという人間である。そして、彼は自分が専門に研究している狭い領域に属さないいっさいのことを知らないことを美徳と公言し、総合的知識に対する興味をディレッタンティズムと呼ぶまでになったのである。

承認をめぐる病 背表紙
こころの知恵

“ひきこもり”になるのはなぜ“良い子”なのか?

常套句としての「良い子」の問題

「手のかからない良い子」という常套句がある。ひきこもり事例の両親から話を聞いていると、しばしばこの常套句に出くわす。この種の表現は、たとえは悪いが事件の犯人の近隣住民が、インタビュー場面で口にする「とてもそんなことをするような人には見えなかった」といった言葉と同程度には紋切り型である。

子育ては常に物語性を帯びている。ここでいう「良い子」とは、しばしば「記憶の中の良い子」イメージである。記憶はしばしば事後的に加工され、はなはだしきは捏造される。成功者の母親は、しばしば過去の問題について語るだろう。「昔はさんざん苦労させられたけれど、今は立派になって……」と。ここには成長という物語があり、主役は晴れて養育に成功した母親だ。

ならば逆の場合もあろう。現時点での不適応は、常に過去の適応と対比される。「あんなに良い子だったのに……(今はダメになってしまった)」という悲劇の構造だ。「良い子バイアス」と名づけたいほどの紋切り型が定着したのは、ひとつにはこうした背景があるのではないか。

勘定奉行の江戸時代 背表紙
Created with Sketch. 働き方の知恵

江戸幕府は財政危機を乗り越えられたか

新井白石の荻原重秀批判の真相

勘定奉行・荻原重秀に対する新井白石の批判が凄まじかったことは、よく知られている。白石は、再三にわたり貨幣改鋳の停止を将軍家宣に求めた(以下、新井白石『折たく柴の記』岩波文庫。また白石は、「天地開闢(てんちひら)けしより此(この) かたこれら姦邪(かんじゃ)の小人(しょうじん)、いまだ聞も及ばず」と、この世が始まってから現在まで、重秀のような不正を働く小人を聞いたこともない、とまで激しく非難し排除を求めた。しかし、重秀が罷免されたのは、将軍家宣の亡くなる(正徳二年一〇月一四日とされる)直前の正徳二年九月一一日のことだった。未曾有の財政危機を迎え、それを貨幣改鋳によるとはいえその都度切り抜けさせた重秀の手腕のほどを考えると、重秀を罷免することに将軍家宣と幕閣は躊躇(ちゅうちょ)したのだろう。

白石は何故ここまで激しく重秀を非難したのか。それは、財政危機への対応策とはいえ、貨幣の品位を落とす改鋳策だからというのが大きい。さらに、これは重秀に限られるわけではないが、幕府が行う土木工事や御殿などの作事工事のたびに、幕府役人が業者から多額の賄賂(わいろ)を手にする不正行為の蔓延があげられる。将軍代替わりごとに出されるもっとも重要な基本法は武家諸法度(ぶけしょはっと)で、宝永七年四月に将軍家宣が出した武家諸法度は白石の起草になり、そこには賄賂の禁止が盛りこまれていた。白石は、賄賂によって正道(せいどうどう) がそこなわれ、それにより政治が腐敗することに強い警戒心をもっていた。

白石は、江戸幕府の現状について強い危機感を抱いていた。白石は、しばしば「国財すでにつきはて」(二六四頁)「前代に国財の竭尽給(つきつくしたま)ひしは」(二六七頁)「国財すでに竭尽し」(二七一頁)などと表現し、国家の財は五代将軍綱吉の時代に尽き果てたという認識をもっていた。室町幕府八代将軍足利義政(あしかがよしまさ)から始まり、現在にまで及ぶ国家を損なう害とは何か。それは、御殿や寺社の造営、庭園の築造、珍品奇物の収集と好事(こうず)などの「驕奢」(きょうしゃ=ぜいたく)のために巨額の金を費やすことで、その結果、「天下の財すでに尽きはて」た状態だという。足利義政がぜいたくを好んで国家の財を費やし士風を廃(すた)れさせた害が、二百数十年後の現在にまで及んでいる、というのである。

脳の誕生 背表紙
身体の知恵

脳の生後発達「3歳児神話」はウソである

研究者は「他の動物でも正しいことは、進化したヒトでもおそらく正しい」と信じて研究を行っています。逆に、生後の脳の発達に関しては、むしろヒトにおいて研究が進んでいる部分があります。

ヒトの脳の生後から思春期に至る発達過程において、シナプスや樹状突起の刈込みが確かに生じているであろうことを推測できる証拠があります。それは、経時的に撮影した脳の画像データに基づいています。

脳の病気のときに、大きなトンネルのような装置に入って脳の中を精査することがありますね。核磁気共鳴イメージング法(MRI)という方法で、頭蓋を開けずに脳の中の構造や神経活動の様子を調べることができます。17世紀のレンブラントの絵画に描かれたデイマン博士は、遺体の頭蓋を開いて脳を観察しましたが、現代ではいろいろな方法で、脳を取り出さないで調べることができるのです。

「対人不安」って何だろう? 背表紙
こころの知恵

対人不安が強い人には《強み》がある

対人不安のある人の方が人とうまくいく

不安が強いなどといったネガティブ気分が対人関係を良好に保つのに役立つというと、すぐには信じられないかもしれないが、そのことは心理学の実験で証明されている。

この種の研究で言われているのは、不安なときの慎重さが相手に対する配慮など対人関係上のメリットをもたらし、ポジティブ気分は無神経な接し方や強引な接し方につながりやすいということである。そう言われてみれば、なるほどと思えるのではないか。

心理学者のフォーガスは、不安などのネガティブ気分が多くの対人関係上の恩恵をもたらすことを実験によって証明している。つまり、ネガティブ気分の人の方が、ポジティブ気分の人よりも、用心深く配慮し、礼儀正しく、丁寧にかかわれることが示されたのだ。

儒教が支えた明治維新 背表紙
社会の知恵

なぜ、秀吉は大陸進出を狙ったのか

一五九二年(文禄元)、豊臣秀吉は十五万の大軍を送って朝鮮に進攻した。韓国では、この歳の干支によって壬辰倭乱と呼んでいる戦争である。

この戦争を、かつて日本では「太閤殿下の朝鮮征伐」と称していた。現在の歴史研究者の間では、この戦争は日本側の侵略行為だったとみなす傾向が強く、「朝鮮侵略」という表現が用いられることが多い。高等学校の日本史の授業でもそう教えられていたりする。すると、今度はこれを不快に感じる人士によって、「自虐史観だ」と批判されるようになっている。

同じ戦争のことを「征伐」と呼ぶか「侵略」と呼ぶかは、それに対してどういう評価(=価値判断)を下しているかの差異に対応している。歴史上の事件をなんと名付けるかは、歴史認識のうえで重要な問題である。歴史とは単に事実を解明するだけの営みではない。その事実を、人間社会の歩みの中でいかに評価し位置づけるかという学術でもある。戦争の場合、それが悪者を懲らしめる正義のための進攻なら「征伐」、利己的な加害行為なら「侵略」と呼ばれる。

秀吉の行為には先例があった。正確には、あったとされていた。神功皇后の三韓征伐である(新羅征伐ともいう)。『古事記』や『日本書紀』は以下のように伝える。両書は細部が異なるが、以下のあらすじは同じである。