社会の知恵

なぜ「教育無償化」が争点となったのか? 安倍首相と小泉進次郎の権力闘争を読む

消費税三たび信問う

「子育て世代への投資を拡充するため、消費税の使い道の見直しを決断した。国民との約束を変更し、国民生活に関わる重い決断をする以上、速やかに信を問わねばならない」

安倍が9月25日の解散表明会見で真っ先に訴えた「大義」が、2019年10月に8%から10%に引き上げが法定された消費税の増収分の使途見直しだ。従来は、赤字国債で賄っている既存の社会保障費の財源の穴埋めに約4.5兆円。少子化対策など新たな社会保障の給付やサービスの充実に約1.1兆円を充てる、としてきた。この比率を1対1に変更し、約1.7兆円を「人づくり革命」の核である教育無償化など子育て世代への投資拡充に投入する。

2020年度までに3〜5歳児全てと、住民税非課税世帯の0〜2歳児の、幼稚園・保育園の費用を無償化。待機児童解消に向け、32万人分の受け皿整備を急ぐ。住民税非課税世帯は大学など高等教育も無償化する。消費税以外の財源も含め「2兆円規模の新たな政策」を安倍は公約した。残り3000億円をめぐっては「こども保険という議論もある」と指摘したうえで、保険方式や企業の拠出金拡充などの制度改革も含め、自民党内で検討を急ぐ考えをこの場では示した。

「こども保険もいいんだけどさ。せっかく若手議員で議論しているわけだから、消費税増税分の使い道も組み替えるとか、もっと柔軟な発想があってもいいんじゃないのかな」

場面は5月29日の官邸に遡る。安倍は「思いつきだけど」と前置きすると、こう増税の使途変更を口にした。向き合ったのは党政調会長だった茂木敏充(現経済再生相)と小泉進次郎(現党筆頭副幹事長)ら数名の若手議員。安倍は小泉らが幼児教育を無償化する財源として旗を振る「こども保険」構想に耳を傾けたうえで「柔軟な発想」を求めた。

実は「思いつき」などではなかった。当時は内閣支持率が六割近い「安倍一強」。安倍は衆院解散カードを温存して2018年9月の自民党総裁選で三選し、その後に総選挙と憲法改正の国民投票を同時実施するシナリオを描いていた。三選のカギとみたのが消費税の扱いだ。元幹事長の石破茂、現政調会長の岸田文雄ら潜在的な対抗馬はそろって増税実施論だ。安倍が2014年、2016年に続いて増税延期に動けば、対抗馬から総裁選の対立軸にされかねない。

そうさせないよう、増税は実施するが、教育無償化の推進を三選の旗印に掲げ、その財源を使途変更で賄うプランを、首席首相秘書官の今井尚哉らごく少数の首相官邸スタッフを中心に練り始めていたのだ。これは総裁選に先立つ2018年半ばに打ち出す手はずだった。

支持率急落と都議選の自民党惨敗で、この戦略はぐらついた。前述のように、安倍官邸は与党の議席減を最小限にとどめようと2017年中の衆院選先行を探り始める。消費税増税の使途変更案は、早期解散の「大義」として1年近く、前倒しして使われたわけである。

経産官僚出身の今井は、安倍の抜群の信任を武器に、内政・外交両面で首相主導を支える最側近として、重要閣僚にも劣らぬ力を持つようになった。対ロシアに続き、対中国でも「一帯一路」構想への協力など経済関係を重視する外交アプローチを主導。安全保障上の懸念を重く見る国家安全保障局長の谷内正太郎らとの軋轢も表面化したほどだ。

首相主導のトップダウンでの使途変更案は、自民党内ですら議論ゼロ。財務省は、財政健全化は一段と遠のくものの、三たび増税延期になるよりはマシと考えるしかない、と表立って異論を唱える場面はなく、官邸に歩調を合わせた。総裁選向けの「秘策」を、与党内調整もなしで急きょ衆院選に転用したひずみはあちこちにのぞいた。公明党は全ての0〜5歳児の無償化を訴えたほか、代表の山口は十月八日の党首討論会で私立高校の無償化を安倍に直談判。安倍も「検討していく」と約束せざるを得なかった。認可外の保育所をどこまで無償化するかなどは選挙後ももめた。

「税こそ民主主義だ。重大な変更で国民に信を問うのは当然だ」と2度の増税延期に続き、消費税を三たび国政選挙の「大義」に持ち出した安倍。ただ、使途変更は「消費税の収入については(中略)年金、医療及び介護の社会保障給付並びに少子化に対処するための施策に要する経費に充てる」とする現行の消費税法の枠内に収まる、と政府部内で解釈され、法改正は見送る方向だ。国会審議も要らないレベルの政策変更で、あえて信を問うたとも言える。

「小泉世代」の下剋上

安倍一強の下、5年にわたって加速してきた首相主導のトップダウンの政策決定。反比例するように自民党政調会は地盤沈下し、長年の慣行である与党事前審査機能は維持しつつも、実質的な空洞化が進んできた。そこへ党側から長期的視野に立つ「人生百年時代の社会保障」への抜本改革論を訴え、下から突き上げたのが小泉進次郎ら若手議員グループだ。

ここで場面は2015年12月に遡る。補正予算で低年金の高齢者に1人3万円の臨時給付金を配る案が急浮上した。安倍肝煎りの2016年参院選対策だった。党政調全体会議で「何も聞いていないし、党として了承もしていない。18歳選挙権対策に腐心している最中で、反対する」と最初に声を上げたのは、若手の小林史明(現・総務政務官)。その場にいた小泉も「これはおかしい」と同調した。「こども保険」に行き着く下剋上の烽火だった。

(『平成デモクラシー史』より抜粋)

書籍データ

平成デモクラシー史 表紙
概要「平成デモクラシー」は、政治の風景をがらりと変えた。90年代に進められた一連の改革により、政権交代を懸けた与野党の競争が始まり、首相への権力の集中が進んだ。今世紀に入ると、「小泉劇場」から民主党政権を経て「安倍一強」へ。その果てに──。「平成」という時代には、どんな意味があったのか? 激動の30年を構造的に読み解き、「平成デモクラシー」という一筋の航跡をくっきりと描きだす圧倒的な政治ドキュメント。
タイトル平成デモクラシー史
著者名清水真人
出版社筑摩書房
刊行日2018年1月10日
判型新書判
頁数416
定価本体価格1100円+税
ISBN978-4480071194