陸軍中野学校 背表紙
社会の知恵

大陸で暗躍した中野学校出身者と中国人女性スパイ

日本軍は桂林では、作戦前に女性スパイを米空軍基地周辺に投入して、B29の日本爆撃の情報を事前に入手していた。中野出の鈴木泰隆(3乙)は1944年末から45年にかけ香港興亜機関に派遣された。この機関の仕事はこの頃、諜報一本に絞られ、重慶、昆明、貴陽、桂林などに固定のスパイを配置し、奥地に潜入するスパイも派遣していたという。そのようにして軍や政治の情報をさぐった。その頃強化されつつあったビルマ方面の援蔣ルートや、サイパンと桂林を発進基地として跳梁し始めたB29の移動情報をさぐった。彼はこの工作を「私の大陸諜報戦記」として戦後公表した。*1

これは、私の赴任前のことだが、桂林の米軍将校クラブに潜入させてあった固定諜者(女性)からの的確なB29の移動情報が、日本軍の桂林占領によって、以後、ぷっつりと途絶えてしまったのは、なんとも皮肉な結果だった。

ちなみに、この情報の伝達ルートは、暗号を秘密インキで認(したため)たものを、桂林―澳門(マカオ)の定期航空便の操縦士(前記女性スパイの兄)が、澳門まで持って来て、それをまたすぐ香港へ転送する、といった手順になっていた。

市内各所のビルに、それぞれ数カ所の部屋を借り、架空の標札をかけ、それぞれの諜者たちとの連絡場所にあてていた。連絡は、きわめて隠密を要した。当の諜者たちにとって、日本軍のために働くのは、まさに命がけだったからだ。

興亜機関には機関長をはじめ分派機関派遣員(仁上、金子、福田、菱谷)として、中野学校出身の勤務者が多くいた。*2

ここの初代所長が、中野一期生井崎喜代太であった。その後任には仁上繁三少佐(乙Ⅰ短)が就いた。その下部機関には金子陸奥三中尉(乙Ⅱ短)、福田友太(5丙)、菱谷誠治(6丙)と中野出が名を連ねた。こうした中野同窓のよしみできわどい工作の連携、機密の交換をスムースに行っていたことが推測される。なおこの表にある橋本大尉、中川少尉はフルネームをつかめないし、中野卒かどうかも分からない。

桂林で味をしめた彼ら中野出の将校は、昆明や成都などにも同様な女性スパイの投入を考えた。人気女優や有名ダンサーの情報は連合軍当局によく把握されていた(リポートⅡ。以下、Ⅰ〜Ⅴのリポートの内容は本書参照)。戦争で閑散としたキャバレーや映画界の女性を口説き、奥地に向けて送るルートを開拓、整備していった。抵抗する女性には、家族への脅迫というおどしをかけた。日本軍では離反防止策として、汪軍部隊の上級幹部たちの家族を特務機関で押さえておくのが土肥原以降の常套手段だった。*3,4

香港からのスパイ候補の女性たちの脱出には、そこに出入するベテラン女性がガイドとして使われたようである。英情報機関はその動きをリポートしていた。

SIS(引用者注・MI6)は香港の日本の工作員と疑われる人物たちについて報告した。そのひとりは毎週軍用列車で広東に行く身元不明の女性で、「ときに、たいていは若い女性たちを同伴していて」、情報源は彼女を「広東の日本人によってスパイ目的で訓練されている」ものと考えていた。*5

その工作員や女性たちの服装、風情から彼女たちは歓楽街関係者であることがすぐに分かったし、そのような目立つグループの横行が連合国側工作員の目に留まり、尾行されるようになったことが分かる。

日本側工作員は桂林侵攻直前に、女性スパイを米軍とともに桂林から脱出させた。連合軍の桂林撤退に便乗してこの女性たちも柳州、貴楊経由昆明、成都へ向かったが、日本軍は見て見ぬふりをしたのだ。彼女らの情報もあって、占領目的の達成に期待を膨らませた。

そこで昆明などに向けてより大規模な工作を行いだした。以前はリポートⅠにあるように女工を訓練してスパイ活動をやらせていたが、彼女らには観察力が不足していた。目標の米兵に接近するには、英語力はもちろんのこと、セックスアピールも欠かせないことが分かった。そこで不景気に悩む香港、マカオ、広東の歓楽街、映画界から多数の魅力ある女性群を探し出して訓練し、日本軍の便衣隊に潜らせたり、日本軍支配地域を個人で通過できるように日本軍の通行証を発行したりした。

リポートⅤにあるように、売春で将兵に接したり同居したりして、米軍情報を得るようにすすめた。米国人は敵に価値ある情報をしゃべるのでバカである、英国人も同様との彼女たちからの報告も入った。英語を話す女性は売春で仲良くなった軍人に取り入り、秘書等の軍の仕事に就いていたことも確認できた。

得た情報は電話で日本側の中国人に、あるいは日本側に直接送るシステムができていた。彼女らの送る情報は選別され、個人の能力が査定された。米軍兵士の毒殺も奨励されていた(リポートⅣ)。男には空港破壊などの活動が奨励された(リポートⅢ)。

ハニートラップで成績の上がらない女性スパイは、売春のみで稼業するか、他の地区であらたな収入を求めざるを得なかった。日本軍占領地にいる彼女らの家族が日本軍に監視、人質にされているため、勝手に「任地」を離れたり、「任務」を放棄したりすることはできなかった。彼女たちには泣き寝入りする者が多かったようである(リポートⅤ)。日本軍の監視のもとで現場では中国人女性(素人スパイ+慰安婦)のハニートラップを汪軍兵士ややくざが支援、監視するシステムができてきた。ポン引きを持っている者が多いが、それをもたない者には日本側の援護システムが補完した。日本軍に勢いがあるときには、危険性を覚悟しつつも工作に加担する女性群が増加した。

(注)
*1 『丸』別冊18、潮書房、1991年
*2 「中日戦争華南日徳間諜活動内幕」RG226 E182 BOX26F39.
*3 鹿地亘編『日本人民反戦同盟闘争資料』同成社、1982年
*4 山本武利『日本のインテリジェンス工作』新曜社、2016年
*5 キース・ジェフリー、髙山祥子訳『MI6秘録:イギリス秘密情報部1909―1949(下)』筑摩書房、2013年

(『陸軍中野学校』より抜粋)

書籍データ

陸軍中野学校 表紙
概要インテリジェンス教育を行う日本初の専門機関、陸軍中野学校。1940年に誕生し、敗戦とともに消滅する。2300余名を数える卒業生は、中国大陸や南方アジアの戦地へ送られ、諜報活動、ゲリラ工作などに従事し、命を落とす者も少なくなかった。秘密戦工作のこの壮大な実験は、いまだ全貌が明らかになっていない。公文書をはじめ、新たに発見された資料を用いてその実像に迫り、歴史的意義を検証する。陸軍中野学校に関する最良の研究書である。
タイトル陸軍中野学校
サブタイトル「秘密工作員」養成機関の実像
著者名山本武利
出版社筑摩書房
刊行日2017/11/13
判型四六判
頁数304
定価本体1,700円+税
ISBN978-4-480-01658-4