賢い「組織」はみんなで決める
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マネジメントを、民主主義を、エンパワーする!――行動経済学の時代

人類の歴史が始まって以来、人は集団で物事を決めてきた。現代社会では、企業、法律事務所、学校の理事会、労働組合、宗教団体、政府、国際組織などの場で、人々は決定を下している。人は様々な場で大小様々な集団で集まり、自分たちの行動を決めている。「3人寄れば文殊の知恵」とよく言われるが、もしそうなら、2人より3人、4人のほうがもっといいのか。100人、1000人となったら、もっと良くなるはずではないのか。集団のメンバーが本当に互いと話し合うことができれば、より良い選択を学び、それを選択することができる。つまり、集団のメンバーの一部、あるいは大半が、犯す間違いを正すことができる。

こんな楽観的な見方には長い歴史がある。もっとも有名な話はアリストテレスにまで遡ることができる。彼は古代の昔に集団の知恵を標榜した哲学者で、次のように述べている。「みんなが集まれば、……少数の優秀な人々の資質を上回ることができる。それは、集団として、あるいは団体としてであって、個々人としてというわけではない。……討議のプロセスに加わる人が大勢いれば、各々自身の善良さや思慮分別をそのプロセスに反映させることができる。……頷けるところは人によって違うだろうが、全体としてはすべてを見渡すことができる」(『政治学』)。

アリストテレスは、集団で協議すれば、個人の知識を集約し、間違いを排除することができ、その結果「少数の優秀な人々の資質」をさらに改善しうることを鋭く意識していた。鍵は、情報の集約で、人々が情報の様々な要素の中で注目するものは異なるだろうが、それが集まると、全体としてはすべての要素を把握できることにつながる。本書ではアリストテレスのこの主張が何を意味し、どうしたらこれを実現できるかについて、かなりの部分を割いて論じたいと思う。

20世紀では、哲学者ジョン・ロールズが同じようなことを言っている。「討論が有益なのは、代表議会制の議員ですらその知識と理性には限界があるからだ。誰も他人が知っていることのすべてを知っているわけではない。また、全員が一致して同じように考えることもできない。討論は、情報をまとめて議論の幅を広げる方法なのである」(『正義論』)。ロールズは民主主義について論じているのだが、その指摘は集団の公私、大小に関係なく、あらゆる集団に適用できる。

しかし実際、集団は少数の優秀な人々の資質を上回ることができるのだろうか。情報をまとめて、議論の幅を広げることができるのか。企業にそんな芸当ができるのか。政府の役人たちはどうか。残念ながら、人類の歴史は集団がその可能性を発揮できずに終わった例に溢れている。多くの集団は愚かだ。失敗するに決まっている製品に賭ける。絶好の機会を逃す。不発に終わるマーケティング戦略を立てる。投資や戦略がうまく行かず、その過程で何百万の人々に損をさせてしまう。

集団は正しい決定を下せるかという質問に対して、リーダーたちの答は分野によって違う。ビジネス界では、多くの人を巻き込んで失敗に対する策を講じておかないと、良い決定は下せないという。政府でも、ローズヴェルト大統領のように偉大なリーダーたちは同じことを信じている。大した業績のない大統領は、孤立し、似たような考えを持ったとりまきにしか耳を貸さなかった。多くの場で、良い決定にたどり着くためには、多くの人と話さなくてはならないというのが通説になっている。

一方、自身の判断に大いなる自信を持ち、集団の意見や側近からのアドバイスは邪魔なだけで、時間の無駄だとするリーダーもよく見かける(ロシアのヴラジーミル・プーチンがいい例だろう)。専制君主やある種の天才はこのように考えがちだ。中にはそれで成功する者もいる。専制君主でも本当に特別で、自分だけで物事を考え抜くことができる人物はいる。しかし、失敗する者のほうが断然多く、その理由の一つは必要なことを充分知らない、あるいは知ろうとしても(一人では)知りえないからだ。

彼らの自信は誇大妄想であり、極端でもある。しかし、そうした人々をただ黙殺する前にもう一度考えてみよう。集団で良い決定を出すのはむずかしい。それほどむずかしいなら、そのために努力する価値がそもそもあるのかと思うこともある。集団で良い決定を出すなど、稀なことという人もいるだろう。決定の良し悪しをどう判断するかについて、経済学者は二つの点から考えたらどうかと提案している。①決定にかかるコストと②間違いのコストだ。集団による決定は、多くの人が関わることから決定のコストが高い。さらに、集団が下した決断が結局悪いものであった場合は、間違いの数や規模(つまり間違いのコスト)も大きくなる。

ここで、話は「集団思考(グループシンク)」につながる。これはアーヴィング・ジャニスが考え出した概念で、集団は画一化し、互いに検閲しあう方向に向かうというものだ。ジャニスは正しかった。多くの場合、官民問わず集団が失敗するのは、集団で議論したにもかかわらずではなく、まさに議論したゆえの結果である。企業も組合も宗教団体も、討議すると悲惨な結論を招く。政府でも同じことだ。

「集団思考」という言葉は印象に残りやすく、一般に広まったのも当然だ。だが、ジャニスの説を裏付けようと検証を試みた研究者の多くは、その目的を達成できずに終わった。ジャニスは、結束力が強く、上から統率され、専門家の意見を受け入れない集団ほど、集団思考に陥りやすいと考えた。その考えを証明するため、彼は特に人目を引くような事例をいくつか挙げている。

だが、無作為に抽出されたのではない事例から結論を導き出すのは危険だ。それに、ジャニスの主張を裏付けない事例もある(ニクソン政権やスペース・シャトルのチャレンジャー号の打ち上げなど)。実証研究でも、ジャニスが集団思考に特徴的と強調したものと必ずしも結びつけられていない。ジャニスがもっともらしく挙げたのは、集団の誤りを正確に述べた事例とか、集団を成功に導く有益なアドバイスとかではなく、文学のように想像力の産物に近いのかもしれない。

ジャニスが自説を展開したのは、現代の行動科学の誕生以前のことだ。行動科学はまったく別個の学問の流れを生みだした。たとえば、ダニエル・カーネマンの『ファスト&スロー』、ダン・アリエリーの『予想どおりに不合理』、センディル・ムッライナタンとエルダー・シャフィールの『いつも「時間がない」あなたに』、そしてリチャード・セイラーとキャス・サンスティーンの『実践 行動経済学』などだ。だが、これまでのところ誰一人として、最近の行動科学の成果が企業などの集団における行動にどのように関連するのかについて、継続的に関心を寄せてはこなかった。私たちはそのギャップを埋めたいと考えている。行動経済学も含めた行動科学研究と集団行動との直接の関連を確かめていきたい。

そうすることで私たちは集団思考という概念を超えて、(チームや組織に関わるビジネスや政府の失敗も含めた)集団の失敗という問題をより正確に理解し、可能な解決策を見つけ出したいと考えている。私たち自身が行ったものも含めて過去数十年に及ぶ研究を基に、様々な熟議集団の失敗の原因となったメカニズムを解明し、成功に導く方法を明らかにしたい。建設的な思考とは、今すぐ実行できる小さなステップに驚くべき価値があり、大きなインパクトを生みだしうることを認める考え方である。従業員や顧客のためにより良く行動できる企業は数知れない。政府も同様、さらには慈善団体も、宗教団体も、教育機関だって同じである。

(『賢い「組織」はみんなで決める』より抜粋)

書籍データ

賢い「組織」はみんなで決める
概要人びとを強制することなくゆるやかにある方向に動機付ける「ナッジ」理論を説いたリチャード・セイラーが、2017年度のノーベル経済学賞をとったことで、大注目されている「行動経済学」。本書はその盟友である、憲法学者キャス・サンスティーンと心理学者のリード・ヘイスティが、組織運営において人びとがより賢く決定するための条件を、ひいてはより賢い組織になるための方法を、行動経済学の知見を踏まえて書いた実践的入門書。
タイトル賢い「組織」はみんなで決める
サブタイトルリーダーのための行動科学入門
著者名キャス・R・サンスティーン
出版社NTT出版
刊行日2016年9月8日
判型四六判並製
頁数288頁
定価本体1800円+税
ISBN4757123558