思想家ドラッカーを読む
社会の知恵

人々の絶望こそが、独裁者の基盤である――ドラッカーのファシズム論

大衆に幸福を約束しないファシズム全体主義(注1)がどうして大衆の支持を得ることができたのか? 経営学者でファシズムにたいして警鐘を鳴らした、かのピーター・ドラッカーは、嘘も繰り返し語れば、真実として受け入れられる、というよく聞く俗説を受け入れない。彼は、ナチスの熱心な支持者の多くがナチスの公約が実現不可能であるとは信じておらず、いくつかの公約は相互に矛盾しているのをよく分かっていたことに注意を向ける。

ナチスは教会を罵倒する一方で、教会を救出することを約束する。ゲッベルスは1932年のある演説で、農民に対しては穀物の値上げ、労働者に対してはパンの値下げ、パン屋と食料品店にはより大きな利益を得られるようにする、と約束した。また、同年の金属産業労働者のストライキに際して、労働組合がストの終息を呼びかけていたのに対し、ナチスは共産党と共にストの続行を働きかけた。ところがそれとほぼ同時期に、ヒトラーは金属産業の経営者たちに対して、ナチス政権の下では経営者が工場の運営の主導権を取り戻せることを約束した。彼らはそうした矛盾を誤魔化そうとさえせず、自分たちが言っているのはプロパガンダだとしゃあしゃあと言ってのけた。その態度に大衆は拍手喝采した。

ナチスのように公約それ自体をバカにする党派、つまりは大衆をバカにするような党派を、大衆が支持する理由についてドラッカーは、大衆があまりにも絶望し切っていて、“信じることができないものだからこそ信じる”、という逆説的な心理状態に陥っているからではないかと推論する 。2世紀のキリスト教神学者テルトゥリアヌス(160?―220?)の「不合理ゆえに我信ず Credo quia absurdum」という命題が図らずも現実化してしまった心理状態である。

つまり、自力では打開しようのない絶望状態の中にあって、神のような超越的な力による救済を心の奥底では待ち望んでいるものの、それまで何度も期待を裏切られてきたので、いかにも良識的で信じやすそうな約束は、かえって受け入れられなくなっている。それよりは、あからさまに矛盾したことを語り、約束など信じていないかのような身振りを大っぴらに見せるナチスのような相手の方が、潔くて、本当は自分たち大衆のことを深く理解して何だか分からないがいいことを考えているのではないか、と憶測する心理が働くことがある。簡単に言うと、嫌な目にあってひねくれた人間には、露悪的な人間が、“本当はいい人”に見えてしまう、ということである。そういうひねくれた発想の人に私たちは日常でよく出くわすような気がするし、自分自身がそうなっていることがしばしばある。1930年代のヨーロッパでは、そうしたメンタリティが、大衆全体に広がっていたわけである。

無論、それは過去の話ではない。2016年のアメリカの大統領選でのドナルド・トランプ(1946- )の勝利に象徴されるように、あからさまに矛盾した、あるいは非人道的な公約を掲げる(反)ポピュリズム的な政治家が大衆に支持される現象が、2010年代の半ば以降、世界各地で起こっている。大衆に寄り添っているかのような耳あたりのいい言葉を語る既成の政治家やメディアが信じられなくなったため、良識的な風を装うことなく、無茶なことを言う扇動家の方が誠実に見えてしまうのだろう。だとすると、ドラッカーのファシズム全体主義論は優れてアクチュアルな性質のものである。

ただ、「不合理ゆえに我信ず」だけでは、政治運動を組織化して政権を獲得することはできない。ドラッカーは、ファシズム全体主義が「信条と秩序 creed and order」の代わりに、「組織 organization」の栄光を“最終目的”として掲げることで、大衆の支持を繋ぎとめようとしていることを指摘する。つまり、欺瞞に満ちた既存の信条や秩序を破壊し続ける、強い「組織」に属しているということが、支持者にとっての誇り(アイデンティティ)になるわけである。

ドラッカーは、「組織」を自己目的化する運動は実際には長続きするはずはないという信念に基づいて、以下のように述べる――「『組織』の栄光を最終目的とする思想に対しては、自由と平等というヨーロッパの伝統を基盤とする新しい秩序をもって対峙しなければならない」 。第二次世界大戦後経営学者として成功を収めたドラッカーには、何となく「組織の人」であるというイメージがあるが、コミットすべき価値を示さないまま、「組織」それ自体を自己目的化するような考え方とは一線を画していたと思われる。

*注1 ファシズム全体主義 ドイツのナチズム(国民社会主義)やイタリアのファシズムのようにナショナリズムに基づく集団主義・国家主義の延長線上にある全体主義を、マルクス主義に基づく全体主義と区別する言い方。

(『思想家ドラッカーを読む』より抜粋)

書籍データ

タイトル思想家ドラッカーを読む
サブタイトルリベラルと保守のあいだで
著者名仲正昌樹
出版社NTT出版
刊行日2018年2月24日
判型四六判
頁数312頁
定価本体1800円
ISBN4757123698