社会の知恵

徴兵制は悪か

私は現代文明の行く末については考えぬわけにはいかないが、世界や日本についての情勢論や政策論議には、なるだけ関わらないようにしている。その分野についてはいわゆる識者がいらっしゃって、その方々に任せておけば大過はなかろうと思うからだ。過日の集団的自衛権をめぐる論議も、そういうわけで傍観していた。

集団的自衛権が是か非かというのは、本意であろうとなかろうと、好もうが好むまいが、のしかかって来る憂鬱でやりきれぬ現実に当座どう対処するかという話で、比較的かしこい選択をするだけのことだと思う。ただ私はその論議の過程で、あいも変わらぬ紋切り型思考の跳梁を目にして、そのほうがよほど問題ではなかろうかと思った。

テレビで国会論戦を見ていると、左翼(もうこんな言葉も死語だが)の一議員が、集団的自衛権の承認は徴兵制につながると主張していて、これには溜め息が出た。安倍総理がそれに対して、スイスは集団的自衛権は認めていないが徴兵制を敷き、アメリカはそれを認めているのに志願兵制であって、両者に関連はございませんなどと、律義に答えていたのも、私には滑稽に思えた。

安倍総理は徴兵制を敷くつもりは毛頭ないと断言する。つまり徴兵制を先天的な悪とする点において、左翼議員と変わらないのである。これは彼や左翼議員だけのことではなく、ジャーナリズムから庶民にいたるまで、徴兵制という言葉を聞いただけで拒否反応を起こすはずだ。それも別に深く考えてのことではない。

ある世代までは、その言葉は天皇制軍国主義と、いまわしい戦争の記憶に結びついているのだろうし、若い人びとにとっては、兵隊というだけでダサイ・キモイということになるのかしら。だが、徴兵制は悪かつ反人道的、反民主的で、志願兵制は善かつ人道的、民主的だという理屈は、少し頭を使っただけで、成り立たぬことがわかるはずなのだ。

マイケル・サンデルといえば、その「正義論」のレクチャーが、日本でも大いに話題になったアメリカの政治哲学者だが、彼の説くところを少し紹介してみよう。南北戦争のとき、北軍は徴兵への抵抗を和らげようとして、三百ドルの徴兵免除費を払うか、自分の身代わりを傭った者の就役を免除した。三百ドルは未熟練労働者の一年分の賃金に相当した。このいずれかの方法で徴兵を免れた者のうちには、カーネギー、モルガンという将来の大資本家、セオドア、フランクリンの両ルーズベルトという将来の大統領の父親も含まれている。

金持ちがこのようにして従軍を免れ、貧乏人は従軍して場合によっては死なねばならぬ制度を、現代人は挙って不公正と断じる。しかし、現代人が徴兵制よりましだとして認める志願兵制は、金持ちが金を払って代わりの貧乏人に従軍してもらうのとおなじことではないかとサンデルは言う。なぜなら、志願兵制のもとで応募するのは、今日のアメリカ社会においては必然的に、そうするしか生きる途のない貧困層、ないし差別されたマイノリティーであるからだ。

正義・公正の立場からすると、徴兵制より志願兵制のほうが望ましいとする根拠はまったく存在しない。サンデルの論旨は、いま私がざっと紹介したのよりもっと委曲を尽くしているので、詳しくは彼の著書に就いて見てもらいたい。

私たちは自衛隊という志願兵制に安住している。しかも、自衛隊の存在を、「反戦」とか「平和」の美名でうとましがる惰性は、いまなお跡を絶たぬのではあるまいか。

おまえらは勝手に戦え、おれたちは知らぬとはまさか言えぬとしても、結局はそう言うに等しい安易な反戦主義に自足しているのではないか。徴兵制と聞いただけでおぞ気をふるうのは、紛れもない思考停止なのだ。

私たちの時局論議は、そのほとんどが深い検討にさらされたことのない紋切り型用語によってなされている。言葉(概念)に前もって善悪、正・不正、民主・反民主、進歩・反動の色がついていて、そういう色つきカードを操作することが論壇の仕事になっている。考えるというただひとつのことが欠落しているのだ。

(『さらば、政治よ』より抜粋)

書籍データ

さらば、政治よ
概要最近、世界情勢がどうなっていくのか、日本はどうなるのか、憂国の議論が日本を覆っている。しかし85歳になって自分の一生を得心するにあたって、国の行方など、自分の幸福にはなんの関係もないことがわかってきた。少年時代から学校も嫌い、裁判システムも大嫌い。とにかくできるかぎり管理されることから離れて、まわりの人と人生を楽しみ、食を楽しみ、町を楽しみ、人生を終えたい。反骨の人、渡辺京二の生きる知恵。
タイトルさらば、政治よ
サブタイトル旅の仲間へ
著者名渡辺京二
出版社晶文社
刊行日2016年6月
判型46判上製
頁数248
定価1836
ISBN978-4-7949-6926-2