世界史をつくった海賊 背表紙
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略奪で富み、貿易で栄えた大英帝国。躍進の立役者は海賊だった!

女王陛下の資金源

ウォルト・ディズニー映画パイレーツ・オブ・カリビアン(Pirates of the Caribbean=カリブの海賊)の第三作目では「東インド会社」をモデルにした「東インド貿易会社」という架空の貿易会社が登場する。映画では、この貿易会社が所有する海軍の帆船が「カリブの海賊」を追跡し、犯罪者として海賊を逮捕する筋書きになっているが、実在した東インド会社の設立をエリザベス女王に持ちかけ、会社設立の出資金を集めたのは、実は海賊たちであった。

エリザベス女王は金儲けに目がなかった。王室の財政を潤沢にし、イギリスを豊かな国家に成長させるためには、どうしても豊富な資金が必要であった。第一の、そして最大の資金源は、海賊に盗ませた略奪品を転売することであり、第二の資金源は、大物の海賊とタイアップした黒人奴隷の密輸であった。いずれもりっぱな犯罪行為であり、これら大型犯罪の言わば黒幕がエリザベス女王であったということになる。

そして第三の資金源は、新しいビジネス・モデルとして導入した貿易会社の設立と海外貿易であった。大英帝国の経済的な基盤を支えた東インド会社はその代表例で、エリザベス女王から特別に許可されて誕生した会社である。関税収入を除き、こうした貿易会社の設立が唯一、犯罪に頼らない真っ当な資金調達の方法であった。しかしエリザベス女王にとって、この第三の手法の優先度は低く、最後まで熱心に取り組めなかった。と言うのも、大儲けできる確実性に欠け、収益を上げるのに時間がかかったからだ。当時、帆船の貿易船団を編成して東インドまで出かければ、少なくとも往復に二年以上は費やさなければならず、また遠洋航海のリスクも高かったため、勝算が低いと考えられていた。

エリザベス女王の政策顧問で、占星術師のジョン・ディーは一六世紀末、「英帝国」という言葉を造語して国家ヴィジョンを構想し、海外に雄飛する貿易会社の設立を奨励したという。ジョン・ディーに呼応して、聖職者・地理学者のリチャード・ハクルートは一五八九年、『イギリス人の主な航海、船団および発見』を出版し、イギリス人の航海熱を大いに高めることに貢献した。そして、海外貿易にあまり熱心ではなかった女王をひたすら説得し、貧しいイギリスが豊かな国家へと変貌するためには、海外貿易を盛んにすることが是非とも必要だと力説してきたのは、本書の主人公である海賊たちであった。

「冒険商人」という名の海賊

女王に海外情報を提供し、女王らを説得して海外貿易の強化と貿易会社設立を声高に主張していたのが、「冒険商人」と呼ばれる一群の貿易商人であった。ハイリスクを覚悟して、遠洋航海に出掛けていった貿易商人の総称だが、単なる貿易商人ではない。なぜなら「海賊」という、もうひとつの顔を持ち合わせていたからである。海賊と貿易商人の二足のわらじを履いていた人々──これが「冒険商人」の正体であった。

冒険商人は洋上でスペイン船やポルトガル船に遭遇すると、襲撃や略奪を行なう海賊でもあり、この意味で冒険商人と海賊は一体化していた。ただ、ほぼすべての冒険商人は海賊になることはあっても、逆にすべての海賊が冒険商人であったわけではなく、両者を同義語として捉える事はできない。ひとくちに海賊といっても、その正体は一様ではないからだ。極端に単純化すれば、海賊には上流階級の社交界に出入りする富裕層もいれば、ロンドンの路地裏やプリマス港などで、その日暮らしをしていた下層階級の労働者もいたからである。上流階級に属していた冒険商人が、東インド会社やレヴァント会社の設立に奔走したのであり、航海に出てスペイン船やポルトガル船に遭遇すれば、状況に応じて海賊へと変身を遂げた。

このように海賊と一体化した冒険商人が、資金を持ち寄って投資家の「シンジケート」を結成し、貿易船団を編成して海外貿易に手を出したとき、これらのシンジケートを「冒険商人会社(Merchant Adventurers Company)」と呼ぶようになった。歴史を遡ると、最初の冒険商人会社が誕生したのが、国王ヘンリー四世下の一四〇七年。こうしたシンジケート方式の会社が、一六世紀になって東インド会社やレヴァント会社へと発展していったのである。英語表記では個人単位で冒険商人を表すと、小文字で〈merchant adventurer〉と書くが、冒険商人の投資家グループを、シンジケート組織として区別する場合は、頭文字を大文字で〈Merchant Adventurers〉、もしくは〈Merchant Adventurers Company〉と書く。小文字と大文字の違いではあるが、前者は個人単位であり、後者は会社やシンジケート単位である。

シンジケート方式は、女王がみずから発案して採用したビジネス・モデルではない。もともとジョン・ホーキンズらの大物海賊たちが、大西洋やカリブ海で海賊船団を編成するときに、こぞって採用してきた海賊のビジネス・モデルであった。海賊のビジネス・モデルを企業経営に取り入れたのが東インド会社である。

シンジケートは、特定の海域に限定した貿易独占の許可を、女王の諮問機関である枢密院(Privy Council)を通じて、女王に嘆願する。その際には、枢密院メンバーなど女王の側近を通さなければならない。女王が「シンジケート」に特許状を下付したときに「組合」が誕生し、東インド貿易を行なう「組合」の通称が「東インド会社」となった。したがって、「東インド会社」という名前は通称に過ぎず、あくまでも正式名称は「東インドとの貿易を行なうロンドンの商人たちのガバナー(代表)とカンパニー(組合)」である。そして「ガバナー(代表)」として東インド会社に君臨したのが、初代会長のトマス・スミスであった。複数の貿易会社を経営していた大物海賊で、海外貿易の元締めとして知られた資産家である。冒険商人と海賊の“ふたつの顔”を持つこれらの有力者が、東インド会社設立のためロンドン中心部のザ・シティで根回しを盛んに行なっていた。ザ・シティは現在、グローバル経済を動かす金融街として知られるが、もともとは冒険商人や大物海賊のたまり場として有名だったのである。

冒険商人の提案

東インド会社設立への動きは、オランダに東インド貿易ブームが到来した一五九九年から急速に具体化していく。ロンドンで同年九月二二日、一〇一人の冒険商人や出資者がシンジケートを作り、エリザベス女王宛に東インド会社設立の嘆願書を起草し、総額三万一三三ポンドの出資金を基に、東インド地域での貿易独占を女王に要請した。当時の国家予算の一五パーセント程度に相当する。東インド会社の発起人は九月二四日、ロンドン市内で設立総会を開き、女王への助言を行なう諮問機関である枢密院を通じて、東インド会社設立に関する嘆願書を女王に提出した。

エリザベス女王は、交戦中のスペインとの和平交渉に取り組んでいたため、むしろスペインとの和平後に、東インド会社を設立した方が望ましいとの判断を示し、会社設立はしばらく見送られることになった。ところがスペインとの和平交渉が頓挫したことで、発起人たちは一六〇〇年九月に東インド会社設立の認可を女王に強く求め、会社設立の機運が一気に高まった。

エリザベス女王は一六〇〇年一二月三一日、発起人たちに「特許状(Charter=チャーター)」を下付し、東インド会社の設立を許可した。エリザベス女王が特定の貿易会社を指名し、対象国・地域や貿易の独占期間を指定した特許状を交付した会社は、特許状を与えられた(Chartered=チャータード)ことから、「チャータード・カンパニー(Chartered Company)」と呼ばれた。実質的には女王と貿易会社との契約(コントラクト)である。前述の通り東インド会社の特許状は、「東インドとの貿易を行なうロンドンの商人たちのガバナー(代表)とカンパニー(組合)」に交付されたものであった。東インド貿易に特化した貿易商人の「組合」が、「東インド会社」にほかならない。例えば東インド会社は、東インド貿易を一五年にわたって独占できる「特許状」を交付され、これ以外の貿易会社は東インドでの貿易を禁止された。イギリスは自由貿易を唱えてきた近代国家であるとのイメージが強いが、エリザベス女王の時代は、国家が海外貿易をすべて管理し、特定の冒険商人に海外貿易の許可を与えることで、女王と国家に富が集中するシステムを作り上げていったのである。

東インド会社に特許状が交付された直後に、出資者の数は二〇〇人を超え、出資金の総額も倍増して六万八三七三ポンドに跳ね上がった(出資者の数は二一五人説と二一八人説がある)。国家予算の、およそ三〇パーセントに相当する大金である。イギリスより二年遅れて一六〇二年三月に発足した「オランダ東インド会社(VОC)」の出資金は、イギリスと比較して約一二倍であったというから、一七世紀に貿易立国を目指したオランダの意気込みが、その出資金からも推し量ることができる。当時のイギリスはまだまだ貧しく、中長期的な視野にわたって貿易会社を設立・維持できるだけの十分な資金がなかったといえよう。

ついに、英国が世界貿易の主役へ

東インド会社という名前から想像すると、立派な本社ビルを構えた株式会社をイメージするが、初期の東インド会社には本社ビルもなく、名目上の本社はトマス・スミス初代会長の自宅におかれていた。東インド会社に言及した書物には、インドを支配するための国家装置として描かれることがしばしばあるが、本来、東インド会社は純粋に“金儲け”のために設立された民間の組合で、海軍力を行使して海外領土を獲得するような“戦略マインド”は皆無であった。また外交権、行政権、司法権、警察権など、イギリス政府の代理人として権力を行使するというような発想もなく、あくまでもスパイス貿易で大金持ちや資産家になることを夢見るというのが、東インド会社設立の原点であったことを確認しておきたい。

東インド会社が国家の代理人として外交権や警察権などを行使するようになるのは、海洋覇権をめぐるオランダとの競争(一七世紀の第一次〜第三次英蘭戦争)に決着をつけた一八世紀になってからである。この時代になってようやく、イギリスはオランダを追い越し、世界貿易の主役に躍り出る。

(『世界史をつくった海賊』より抜粋)

書籍データ

世界史をつくった海賊 表紙
概要スパイス、コーヒー、紅茶、砂糖、奴隷……これら世界史キーワードの陰には、常に暴力装置としての海賊がいた。彼らは私的な略奪にとどまらず、国家へ利益を還流し、スパイとして各国情報を収集・報告し、海軍の中心となって戦争に参加するなど、覇権国家誕生の原動力になった。さらに、国際貿易・金融、多国籍企業といった現代に通じるシステムの成り立ちに深く関与していた。厄介な、ならず者集団であるいっぽう、冒険に漕ぎ出す英雄だった海賊たちの真実から、世界の歴史をとらえ直す。
タイトル世界史をつくった海賊
著者名竹田いさみ
出版社筑摩書房
刊行日2011年2月10日
判型新書判
頁数240頁
定価780円
ISBN978-4-480-06594-0