パブリックスクールと日本の名門校
社会の知恵

有名進学校・麻布学園の「書かせる」教育

■麻布の反骨精神

2020年に大学入試が大きく変わるのはみなさんご存じのとおりだ。センター試験が新しく「大学入学共通テスト」に置き換わり、記述式の問題や英語に関しては民間試験の導入が検討されている。さらに大きな変更点は高校調査書のなかで生徒の主体性の評価が始まることである。教科の枠を超えた合教科型の試験も導入される予定だ。これらについては、教育関係者はもちろん保護者も関心が高いと思われるが、そもそもこの改革がどういった狙いで進められているかについての関心は、希薄になっているのではないだろうか。

表面的には、いまの大学入試はあまりに知識偏重で「思考力」「判断力」「表現力」が正しく評価されていないという問題がある。また、これからは主体性をもって多様な人々と協働することがますます重要になっていく。だから、選抜方法を変えることで、これらを伸ばしていこうというのが、改革の目的である。

しかし、もっと根深い問題がある。少しだけ筆者の考えを述べさせていただこう。

まずは、近年の学生の学力不足がある。少子化に伴う私学経営の危機もあり、多くの大学が学力を十分担保せずに入学させている。次に、大学入試改革を主導する「高大接続システム改革会議」では、高校教育と大学教育の知識・能力が「同軸上に積み上げられている」ことを念頭に議論が展開されているが、実は両者には構造的違いがあることが認識されていない。高校までに「積み上げ」られた教科科目を、大学における学術科目へ「組み替え」る必要があるのに、実際はそうなっていないのである。昔であれば旧制高校がその役割を果たしていたのだが、いまの日本にはこの「組み替え」に必要な「バッファー装置(緩衝装置)」が備わっていない。

要するに、大学入試改革が対症療法であっていいのか? というのが筆者の考えなのだが、少なくとも麻布中学・高校(=麻布学園。以下、麻布)は、旧制高校が果たしてきた役割の一端を担っている。

麻布は長年、思考力や表現力を養う教育を行ってきた。また、さまざまな活動を通じて生徒たちの判断力や主体性も育てている。思考力、判断力、表現力はリーダーにとって不可欠の資質であることは言うまでもない。そのうえで麻布は全国トップクラスの進学実績を誇る。2017年の東大合格者は78名(開成、筑波大学附属駒場、灘校に続く第4位)、1956年度以後、常に東大合格者数でベスト10入りを果たしているのは、唯一、麻布だけである。

実際、麻布は政界、経済界はじめいろいろな分野に有為な人材を輩出してきた。ほんの少しだけだが、麻布からどんな人材が生み出されたのか見てみよう。

橋本龍太郎、福田康夫両元総理をはじめ、平沼赳夫、与謝野馨など重鎮と呼ばれるまでになった政治家は数多い。財界だと、「財界の鞍馬天狗」とも呼ばれた中山素平(経済同友会代表幹事)が有名で、西武鉄道を率いた堤義明、セガの社長だった入交昭一郎(灘校から転入)も麻布の卒業生である。学界だと、社会学の宮台真司(首都大学東京教授)、政治学の藤原帰一(東京大学教授)などがメディアに出演する機会が多く、一般にもよく知られる存在だろう。ほかにも、作家の山口瞳、吉行淳之介、北杜夫、俳優の小沢昭一、ジャズピアニストの山下洋輔、脚本家の倉本聰などが麻布出身である。また、最近、政府に対して批判的な物言いをする現役・元官僚が増えてきた。彼らについては後世の評価を俟たなくてはいけない部分があるものの、そうした人たちのなかに麻布出身者が少なくないことも麻布の反骨精神の表れとして注目したい。

各界で活躍している麻布の卒業生は多く、挙げていけばきりがないが、いずれにしろ顔ぶれを見ていただければ、権威に屈せず「反骨精神」をもった人が多いことがわかる。それもそのはず、設立者である江原素六そのものが反骨精神に満ち、立身出世主義を忌避した人だったのである。江原は次のような言葉も残している。

「真理に従うことは貴賤上下の区別はない。生徒の抗議に従うという場合にはご威光にさわるか知らないが、真理に従うならば何の否むところはない。けれどもとかくどうも官の威光という事を余り尊びすぎる。真理に従う時は、存外易々といくものである」

教師であっても生徒の言うことが真理なら従うべき──。なかなか言えることではない。

■成長を促す自由闊達さ

有為な人材が次々生み出された理由として、創立以来の「自由闊達」の校風を挙げることができるだろう。

麻布の「自由闊達さ」は時に「自由すぎる」と非難されることもあるが、「自由だからこそ得られる成長もある」(平秀明校長)というのが麻布のスタンスである。また、それによって自主自律の精神も養われる、と学校は考えている。筆者が訪問した際の、校内に貼られた生徒が作った新聞には、学校に対する辛辣な批判記事が満載だった。これなどまさに「自由闊達」「自主自律」の表れと言えよう。さらに、麻布はカリキュラムにも特徴があって、とにかく考えさせる、そして書かせる。オリジナルな授業が実に多い。近年は、それに独自の教養教育が加わり、厚みを増している。

麻布には校則はない。中学入学の際に「硬いボールを中庭で使ってはいけない」とか「近くのお店で集団で騒いではいけない」など校内外での基本的なマナーについて教えることはあるが、明文化された規則のようなものは存在していない。もちろん、制服はなくみな私服である。髪を染めるのもOK。まさに、放任主義だ。もっとも、筆者の知る麻布の卒業生Kによると「自由には義務がつきものである、という意識は生徒の間でも強かった」そうである。教員から「あれをしろ、これをしてはダメだ」などと言われることはないため、羽を伸ばしすぎ、枠をはみ出す生徒もいるにはいるが、そんな場合でも学校の指導の基本は「自分で考えさせる」だ。校長が語るように、「6年間でしっかりとした自分の考えをもつ生徒に育ってほしいと思って」いるのだ。ガミガミ言わず、生徒が自ら反省するのをじっと待つのだという。「自分で律しなければいけない(自主自律)」という意識はこういうところから生まれるのかもしれない。

自由闊達、自主自律は名物である文化祭でも発揮される。かつては3万人もの来場者があったとも言われる麻布の文化祭(五月実施が基本)だが、運動会(10月実施)が終了したのち、翌年度の文化祭実行委員長を決める選挙があり、委員長を中心に半年以上かけて練り上げていく。実行委員会は10以上の部局で構成され、テーマからはじまって出し物、メインの企画、運営の仕方等々をすべて実行委員会が決めていくのだが、まさに大学の学園祭実行委員会並みだ。700万~900万円もある予算も、すべて生徒が管理・配分するそうである。

前出のKはこう振り返る。

「私は選挙管理委員会の委員長をしていました。麻布には生徒会と呼ばれるものはありませんが、文化祭実行委員会や運動会実行委員会、サークル連合、予算委員会といった自治組織があって、すべて先生たちから独立し、生徒だけで運営しています。けっこう活発に活動していましたね。先生が関与しないだけに責任も強く感じていました。私も含めこうした活動に参加する人は、とくに『自由には義務が伴う』ことを実感していたように思います。その後に進んだ東大ではなく、麻布こそが私の母校だと強く感じるのも、何か自分の核になるようなものが麻布時代に作られたからかもしれません」

■基礎をしっかり構築するカリキュラム

「99年後に誕生する予定のネコ型ロボット『ドラえもん』。この『ドラえもん』が優れた技術で作られていても、生物として認められることはありません。それはなぜですか。理由を答えなさい。」

解答用紙に選択肢はなく、記述式の問題である。見た瞬間、読者の多くは大学入試で出された問題だと思ったことだろう。しかし、これは2013年に麻布中学の入試で出た問題なのだ。小学6年生に解かせるのか、とネットでも大いに話題になった。学習塾関係者の間では「麻布らしい問題だ」とおおむね好意的だったそうだが(「プレジデント・オンライン」2013年3月19日)、こうした考える力を問う問題を麻布は1970年代から取り入れている。まさにいま議論されている大学入試改革の先駆けとも言えるものだが、入試だけではない、麻布は教育そのものがユニークなのである。たとえば、先に少し触れた「考える」と「書かせる」はこういう具合だ。

中学3年の国語では、3~4人のグループによる文学作品の共同研究(「卒業共同論文」)が課せられる。麻布の国語科が主眼とする「表現力を養成する」という狙いに加え、「高校での主体的学習姿勢を形成する」目的をもっている。400字詰め原稿用紙で100枚以上、ほぼ一年をかけて論文を仕上げるというプログラムで、たとえば先述のKは4人の仲間と一緒に村上春樹の『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』をテーマに書いたそうだ。課題図書のなかから選ぶ形で、Kのときには大岡昇平の『レイテ戦記』や野上弥生子の『迷路』などがあった。どれも中学生が読み込むにはかなり難解で長大な作品だが、ああでもない、こうでもないと、ときにはメンバーの家に泊まりこみ夜通し仲間と議論したのもよい思い出になっているとKは語る。自分なりに考え、それを文章にまとめた経験は確実に「思考力」「表現力」を高めることにつながったことだろう。

さらに、高校1年の社会科では、「基礎課程修了論文」(通称「修論」)を課している。地歴・公民分野からそれぞれ自由にテーマを選んで研究し、論文としてまとめるのだ。基礎課程修了と銘打っているのは、社会は高2から幅広い選択制を取り入れているためで、「全員必修の課程の集大成」の意味がこめられている。

参考までに、2000年の修論のタイトルをあげてみよう(カッコ内は筆者の補足)。

・「ル・コルビュジエ論」(ル・コルビュジエは世界遺産である国立西洋美術館の設計者)

・「司法が変わる・司法よ変われ」(法科大学院の創設などを論じた、司法制度改革審議会意見書についての考察)

この年には、正史である「三国志」から物語としての「三国志演義」に変わっていくなかで、英雄たちの描かれ方がどのように変化したかをとりあげた力作もあった。このように過去の修論のタイトルを確認できるのは、優秀な作品は印刷物としてまとめられているからである。

麻布の学校説明会に参加すると校内を見学できる。その際、多くの保護者が立派な図書館(学園100周年を記念して建てられた)に驚かされる。その図書館に『論集』という冊子のコーナーがある。『論集』は1981年、多種多様な授業の成果や、授業内容から派生して独自にその関心を広げ、考察を進めた自由研究などを発表する場所として創刊された。ほぼ年に一回の発行で、「卒業共同論文」や「基礎課程修了論文」の優秀な作品がここに掲載される。筆者も手にとったが、その質の高さに圧倒された。修論などは2万~3万字ものボリュームがあり、大学生の卒業論文と見まがうくらいの充実ぶりなのだ。「これを、本当に高校一年生が書いたの?」と正直思ったものである。平校長はこう語る。

「自らの考えを、自ら発信する人になってほしいと思います」

『論集』を見る限り、自らの考えをしっかり発信しているとみて間違いない。

(『パブリックスクールと日本の名門校』より抜粋)

書籍データ

パブリックスクールと日本の名門校 表紙
概要世界中から生徒が集まり、多くのグローバルなリーダーを輩出する英国の名門校パブリック・スクール(PS)。一方、日本でPSに匹敵する教育を行うのが名門私立中高一貫校だ。本書ではPS4校(イートン、ラグビー、ハロウ、マーチャント・テイラーズ)と日本の4校(灘、麻布、ラ・サール、甲陽学院)を比較。各校の人間教育の特徴とともに、イギリスと日本の共通点、相違点、そして日本の学校がPSから学ぶべき点が見えてきた。激動の21世紀を生き抜く、本物の人格と教養を身につける教育とは。
タイトルパブリックスクールと日本の名門校
サブタイトルなぜ彼らはトップであり続けるのか
著者名秦由美子
出版社平凡社
刊行日2018年3月15日
判型新書判
頁数264頁
定価本体価格840円+税
ISBN978-4-582-85869-3