謎床 背表紙
社会の知恵

日本型コンピュータの最新形態は「見立て」が生み出す。

▼日本型ポジティブ・コンピューティングをつくる──寄物陳思メソッド

ドミニク ステラークのようなぶっ飛んだ例ではないものをあげるとすると、いまちょうどNTTコミュニケーション科学基礎研究所にいる渡邊淳司さんたちと『Positive Computing』(邦訳『ウェルビーイングの設計論』)という本を翻訳しています。どのような内容かというと、ウェルビーイングの心理学をインターフェース工学が取り込むという話です。これまでのありとあらゆる人間の感情を計測したり、そこに介入する技術を総括し、心理的なセラピーにとどまらず、人間の心理的な潜在能力を引き出すための情報システムとして設計の可能性を探っていきます。そのうえでそれらを商業システムや社会起業の中にどう取り込むかということを、網羅的かつ包括的に考える研究が始まっています。

僕も個人的にこの流れに沿って、今、日本型ポジティブ・コンピューティングというものをつくれないものか、と考えています。

松岡 おっ、いよいよ始まった。

ドミニク 実はそのための日本型のヒントを、松岡さんとのお話から見出したいと思っています。

松岡 日本文化がOSになるのか、ということですね。

ドミニク そうです。それで、いまのところ不満があるのが、マインドフルネスやウェルビーイングという言葉が流行していますが、それらは、たとえばスティーブ・ジョブズはじめ欧米の文化人たちが、鈴木大拙がかの地で展開した禅を継承していて、それが日本に逆輸入されてきたものですよね。現代の日本人は、マインドフルネスのほうをありがたがっていますが、オリジンは日本や中国やインドにあるわけです。もともとは自分たちがもっていたものがルーツにある。

一方で禅のマインドフルネス化において、彼らの禅の思想の取り込み方には西洋的な近代主義のフレームワークの制約が働いていたに違いない。しかし、その前提をもたない(あるいはもてない)ところから、新たにもういちど、禅や密教を含め日本的な発想を突き詰めたら、とてもヴァナキュラーな(風土的・土地固有の)思想になったり、あるいはそれを日本で研究する意味が生まれるのではないか、そんなふうに思っています。

松岡 ヴァナキュラーであり、かつ、ひょっとしたらグローバルなものに転換していくかもしれない。そこに何が必要なのかというと、そうですね、まずは「見立て」ということだと思います。

ドミニク 見立て、ですか。

松岡 見立てというのは、分析対象としての情報体についての推論構造がずれていっても、そこにある本来の印象をずうっと保持していくということです。見立ては比喩から始まって、この盆栽は富士山に見えるだとか、この庭石は亀に見えるとか、この味は“がんもどき”つまり雁の肉に似ているというふうにスタートするのですが、それらの比喩はたんにその庭石が亀っぽく見えたということではなく、そう見ることで庭の他の光景全体についての解釈系を起動させるんですね。そうすると、いくらでもメタファーを連鎖できるようになって、その庭なら庭が見立ての世界として成立する。後楽園や六義園や偕楽園などの大名庭園や、夢窓疎石[むそうそせき]以来のたいていの枯山水はそういうふうになっています。しかもそこには本来の印象を継承できるそれなりの限定的な範疇が生じている。その見立ての領域をどのぐらいもつかということが、日本文化的なひとつのエンジンの方法になるでしょうね。

社会の見立て力が低くなっていくと、印象を紋切り型でばかりやりとりするようになります。これはクリシェに陥る。日本は万葉・古今・新古今の時代に、この見立て力を縁語や歌枕や本歌取りを総動員してかなり充実させました。

見立てを成立させているのは、寄物陳思[きぶつちんし]という手法です。これは「物に寄せて思いを陳[のべ]る」という、万葉以来の日本人のリプレゼンタティブな方法です。私は「仮託「かたく」の方法」と呼んでます。「物」を前にしてしか、「思い」を述べない。「おもふ」と「おもほゆ」という言葉は古今集でたくさん出てきますが、それは「ものおもひ」なんですね。

日本人はかつて花鳥風月や雪月花を全面的に観賞していなかったんです。オールオーバーネスにはね。いまはみんなソメイヨシノの下でドンちゃん騒ぎをしますが、かつては花見も直接にはしない。桜の一枝を手折って、部分だけ持ってきて部屋のなかで見る。月も月そのものを見るのではなく、水盤に投影してそれを見る。雪も盆景にして、少し盛って楽しむ。もちろん庭の雪も愛でますが、冬山の深い雪を見に行ったりはしない。ちなみに日本の美意識においては、心敬や道元の時代になってやっと冬の美を発見します。

ですから万葉時代に雪と書いてあるのは全体の雪ではないし、花と書いてあるのは全体の花ではないし、月というのはあの本当の月ではなくて、寄物陳思されて、手元に引き寄せられた月なんです。アフォードされた月。ということは、ここには花鳥風月ブラウザーみたいなものがあって、そこに花や月や雪をドラッギングしているともいえるわけです。こんなエンジンがつくれるならおもしろいことになると思う。

急に話が飛ぶようですが、かつてsmalltalkとオブジェクト指向に注目していたことがあります。そこでは、「3+2=5」ではなくて、「3」と「+5」、「=8」というように、オブジェクトをそれぞれ分けますよね。つまり、くっついているとか、重なっているとか、かかっているという、その「状態」をオブジェクトと呼んでいましたね。これが私の感じた「オブジェクト指向」になるのですが、同様に日本の万葉文化以来の寄物陳思メソッドというのは、寄せ集めて思いを述べることと、ドラッギングしている状態と、そのことについて何かを言っていることとがズレながらも同じである、一緒なんであるということなんですね。つまりそういう方法ごとがコンテンツである、感知するための手続きごとがコンテンツである、というふうになっているわけです。

ドミニク なるほど。プロセスがコンテンツ、つまり目的になる。

松岡 安田登さんも話されていると思うけど、たとえばテル、クモルという能の所作には引き算があり、その中間には非常に多様な状態が連続しています。それをテル・クモルで集約させている。その所作に寄物陳思させるのです。また、先ほどの石庭の例のように、石や岩があるだけで多様性というものがそこに生まれるのは、じつは石庭の石は、たくさんの石の中から選んで持ってきて、寄せ集める物はこれ以上ありませんと言える状態にしたうえで手放している、そういった究極の引き算が行われているからです。そうやってつくられているから、そこから先はユーザーが見立てを始めていけるんです。

これは何をしているかというと、全体の中から部分を切っているとも言えるし、あるいは最小限の印象発現性をもった部分どうしをくっつけているとも言えるのかもしれない。私はそのことについて「抱いて普遍、放して普遍」といつも言うようにしています。抱いていく(取り込んでいく、抱えていく)グローバルな計算やプランも大事だけど、どんどん放していって相手に渡していくときの普遍力も大事になる。これらは一緒にはできないことだけど、できるだけセットにしておきたい、というのが日本的な手法のひとつだと思います。

▼「見立て」エンジンの開発──うつ(空)・うつろい(移)・うつつ(現)

ドミニク それをどうアルゴリズムに落とし込んだらよいのか、ということを考えていきたいですね。少しはイメージが見えたのですが、容易ではないですね。たとえば僕は本を買ったらBOOKSCANに送って、クラウド化しています。対談するときでも、ミーティングするときでも、何かあったらどこでもパッとそれが取り出せるようにしている。だから僕の「本楼」はクラウドにあります。そうしておくと、検索したときにすぐにその本が出てくる。MacにはSpotlightという優秀な形態素解析つきの検索エンジンがあるので、それを使っています。でも、そこからは見立てが出てこない。相手に手放して渡すというとき、コンピューティングにおいてはその相手がどこにいるのか、ということもあると思います。見立てがどうして、どこから生まれてきたのかというところを考える必要がありますね。

松岡 子どもはかなりの見立て派だよね。

ドミニク たしかに何でも別のものに見立てて意味をスライドしていきますね。ところで見立てを英語に翻訳するとしたら、どんな語になりますか?

松岡 そのものズバリはないと思いますが、イメージングの作用や機能からすれば、metaphorですね。なかでもmetonymyやsynecdocheの手法でしょう。でも、日本の見立てはもっと動的なものなので、like asが近いかもしれません。likeという英語は「好きになる」と「〜のように」という意味を兼ねていますね。そこに「〜として見る」という見立ての奥にあるトリガーの動きと近い感じがありますね。見立ても、まずは「それを好きになる」「おもしろがる」「関心をもつ」というふうに重なっていくんです。

そもそも寄物陳思は物(オブジェクト)に関心をもって注意のカーソルがそこへ向かうということに始まります。しかし、その「物」は辞書的に見えているだけではない。心や思いでも見ているので、「散りかけた桜」は「別れた人」に、「雨の屋根瓦」は「昔日の寺」にもなりえます。見立ては、この「何かにも見える」「何かにも思ゆる」ということを起点にして類感的に連鎖していくんですね。こうして見立てが込められたオブジェクトに次の人が向かったときに、さらに一度も二度も見立てがおこるということが連想ゲームのようにずっと続いていく。

だけど、その印イメージ象の軸をめぐるコアコンピタンスは変わらない。これが崩れると、ただの伝言ゲームみたいにめちゃくちゃになっていくので、それはしないようにする。こうして見立てのコアコンピタンスを束ねた道幅が、花鳥風月や雪月花になっていったわけです。これらはlike asするための道幅なんですね。

ドミニク 見方のルールなんですね。

松岡 そうです。そのルールで和歌を詠み、大和絵を描き、庭も作る。たとえば龍安寺の方丈の庭であれば、ある片方の側からだけ見えるように設計します。あちらこちらから見ることができないようにしておく。桂離宮もそうなっている。三六〇度CGなんて、とんでもない。

ドミニク なるほど、石庭というのはそういうことなんですね。

(『謎床』より抜粋)

書籍データ

謎床 表紙
概要【IT界の異才、編集工学の門を叩く】眠らないネットは、眠れる歴史を覚醒させるか? 門外不出、他言無用。直伝で継承される編集術とは。情報はどう育まれ、多様な変化を起こしていけるか? ITと編集力が融合すると何が生まれるか? 日本文化にはどのような「謎を生み育てる床」があったのか? 連想と発想の応酬から切り開かれる、「ジャパン・プロセス」を巡る究極のヒント集。
タイトル謎床
サブタイトル思考が発酵する編集術
著者名ドミニク・チェン, 松岡正剛
出版社晶文社
刊行日2017年7月10日
判型46判並製カバー装
頁数360頁
定価本体価格1800円+税
ISBN978-4-7949-6965-1