吉田満 戦艦大和学徒兵の五十六年 背表紙
社会の知恵

『戦艦大和ノ最期』の正しい読み方

ワレ電話一本ニテ督促

私が『戦艦大和ノ最期』をよんだ時、その戦闘場面の映像的な描写と、死に行く人々への哀切のこもった筆致に心うごかされながら、どうしても穏やかによめない場面があった。「間斷ナキ猛襲」という見出しのついた節の終わりのほうの文章だ。

空からの爆弾と海からの魚雷はたたみかけるように大和をおそった。攻撃は波状に押しよせ、第二波の攻撃がおわるやいなや第三波がくる。その第三波で、臼淵磐は直撃弾をあび「一片ノ肉、一滴ノ血ヲ殘サズ……虚空ニ飛散」する。

米軍の雷爆混合の攻撃は戦艦大和の左側に集中、大和の左舷は一部浸水する。攻撃による浸水を食いとめるために、防水区が細かく区切られており、通常であれば防水遮断がなされ、浸水はとめられる。しかし、相次ぐ攻撃により担当する応急科員にも死傷者が出て、防水遮断ができなくなる。

左舷の被弾により傾斜は五度を超え、砲弾の運搬にも支障をきたし、士気にも影響をあたえはじめる。すみやかに注水をおこない、左右の均衡をはからねばならない。その注水の判断は、管制所の所掌だ。そこにも、魚雷一本、直撃弾三発があびせられ、機能不全におちいる。

艦長は傾斜復旧を急ぐよう幾度も指示する。しかし復旧するためには、もはや防水区以外に注水するしか方法がない。注水場所としてだされた候補が機械室及び罐室だった。そこは注水可能な最大、最低位のところで、傾斜をいくらかでもなおすには適切な場所だ。しかしそこでは、数百名という機関科員がはたらいている。

副長が無断注水を決意する。副長とは艦長の次に位置するポストだ。吉田は書く。「全力運轉中ノ機械室、罐室―機關科員ノ配置ナリ コレマデ炎熱、噪音トタタカヒ、終始黙々ト艦ヲ走ラセキタリシ彼ラ 戰況ヲ窺ウ由モナキ艦底ニ屛息シ、全身汗ト油ニマミレ」て仕事をしているのである。その部屋との連絡は手先信号しかなく、もはや連絡がとれない。

数百人の機関科員を一度に殺すこの決定を指揮所に伝えることに応急科員は躊躇する。そこで吉田が、督促するのだ。「「急ゲ」ワレ電話一本ニテ指揮所ヲ督促」と吉田は書きのこしている。その後、以下のようにつづける。

當直機關科員、海水奔入ノ瞬時、飛沫ノ一滴トナツテクダケ散ル
彼ラソノ一瞬、何モ見ズ何モ聞カズ、タダ一塊トナリ溶ケ、渦流トナリテ飛散シタルベシ
沸キ立ツ水壓ノ猛威
數百名ノ生命、辛クモ艦ノ傾斜ヲアガナフ

最終的に大和は沈没する。そのわずかな時間の傾斜復旧のために数百人の機関科員を犠牲にするのである。むろん、それはあくまで結果から見たものだ。その時は、大和の傾斜をただし、米軍と戦う、その見込みがあったのではあろう。

もとよりその決定を下したのは吉田ではない。しかし、他の兵士が躊躇した指示を吉田がしている。そのことを吉田満は、冷徹に書きとどめている。

この場面は、一九四六年版でもえがかれてはいるが、督促した主体に「ワレ」という主語はふされていない。口語の『サロン』版では、「私は」という主語がしるされている。五二年版にも「ワレ」はある。

このくだりを読んだ時に、吉田が生還後、再度、特攻を志願したことが理解できた。それ以外の選択は考えられない。注水指示し、生還した副長の能村も、大和からの生還後、以下のようにかたったと吉田は書きとどめている。「ヨリ以上ノ死ニ場所ヲ得ル、ソレデ何ヲ言フコトガアルカ」(『戦艦大和ノ最期』一九四六年版)。上官がより以上の死に場所を得るしか、おさまりのつかない意思決定である。

(『吉田満 戦艦大和学徒兵の五十六年』より抜粋)

書籍データ

吉田満 戦艦大和学徒兵の五十六年 表紙
概要吉田満『戦艦大和ノ最期』が刊行されて半世紀以上が経過した。同書は、吉川英治の勧めで僅か「一日を以て」書き上げられ、小林秀雄に見出されて『創文』創刊号に掲載されるも、占領軍によって発禁処分となった衝撃の初出から今日まで、絶えることなく読み継がれてきた戦争文学の不朽の名作である。戦艦大和の特攻作戦から奇跡の生還を果たし、死者の身代わりの世代として戦後を生きた吉田はなぜ自分は理解されていないと嘆いたのか?
タイトル吉田満 戦艦大和学徒兵の五十六年
著者名渡辺浩平
出版社白水社
刊行日2018年4月21日
判型四六判
頁数270頁
定価本体価格2400円+税
ISBN978-4560096260