ジャズのことばかり考えてきた 背表紙
Created with Sketch. 働き方の知恵

スイングジャーナル編集長が見たチック・コリア

彼に初めて本格的なインタビューをしたのは一九七一年の夏。当時の彼は、「サークル」という名のカルテットを作って間もない時でした。ロサンゼルスに滞在中、メンバーをホテルに呼んで、まだ聞いたことのない彼らの音楽を想像しながら手探りで質問をしました。取材をひと通り終えると、チックがこれから近くでコンサートをするから来なよと誘ってくれたんです。もちろん、その足で聞きに行きました。誌面作りを想像しながら最後まで聞いていると、いきなりチックが「このバンドは今日で解散です」というアナウンスをしたんですね。インタビューの時はそんな素振りも見せなかったので、もう腰を抜かしたわけです。

その翌年、今度はスイスのモントルー・ジャズ・フェスティバルでチックと偶然一緒になったんです。そうしたら彼が「ミスター・コヤマ、サークルというバンドでは素晴らしいことをやったつもりだったけど、やっぱりお客が聞きに来てくれないと継続はできなかった。あの時は悩んだけど、でも今は新しいバンドができて、聞いてくれる人の心にスーッと入っていくような音楽を作っている」と言うわけです。彼は、モントルーでは新人のベーシストと一緒にスタン・ゲッツのカルテットに参加していて、新しいバンドはその新人らと組んだということでした。新人ベーシストの名はスタンリー・クラーク。当時、二十歳そこそこでしたが、ゲッツのステージで演奏しているのを聞いて、わたしもその凄さに驚いたところでした。それで、興奮してスタンリーに取材を申し込んだんですね。とにかくその演奏を讃えて、チックとのバンドのことも聞くと、アメリカに帰ればアルバム用に録音した音源があるというんです。ならば聞かせて欲しい、と急遽飛行機に同乗してニューヨークについて行ったわけなんです。我ながら、この行動力には呆れますが、ジャズに対しての興味だけはどうしても一直線になってしまうから仕方がない。それで、彼のアパートで、吹き込まれたばかりのテスト盤に針を落としてもらった。その音には本当に鳥肌が立つ思いで、一瞬にして気に入りました。サークルの音とはまったくちがう、これまで聞いたことがない音だった。チックの言う通り、音がスーッとわたしの中に入ってきたんです。

スタンリーにその感動を話していたら、突然、隣の住人が裏庭の方から顔を出して、「スタンリー、早く荷物を用意しな」と言うんです。誰かと思ったら、マイルスとのセッションでも知られる打楽器奏者のアイアート・モレイラだったんです。聞くと、彼も新しいバンドのメンバーで、スタンリーと一緒に同じアパートに引っ越してきたばかりということでした。何でもすぐにツアーに出発するというので、わたしも一緒にアパートを出ることになったんです。一瞬の滞在でしたが、直感でこのグループは当たると確信しました。スイスでチックとスタンリーに会い、ニューヨークでサンプル盤が聞くことができたその流れに必然性があったんです。まだ何も印刷されていない真っ白なサンプル盤を手にニューヨークの街を歩いたのを覚えています。帰国したら、彼らを巻頭に抜擢して次号を作ろうと心が躍った。でもその時、彼らはまだグループ名すらなかったんです。ほどなくして、彼らは自分たちを「リターン・トゥ・フォーエヴァー」と呼ぶようになった。そして、海面を低空飛行しているカモメの写真を使ったファーストアルバムをプレスしたんですね。それが、あの全世界を席巻する伝説のレコードに化けていくことになったんです。

わたしは、チックがサークルからリターン・トゥ・フォーエヴァーに至る大転換の時期に、図らずも居合わせていたんですね。チックは決してサークルでの活動が誤っていたとは思っていない。サークルの演奏はいわばフリージャズでしたが、難解なものを狙ったわけではなく、彼らが集まって無心に創造性を追求すると自然とこういったジャズになるわけです。でも、商業的な成功は収められず、継続できなかった。その変化には、彼がサイエントロジーという宗教思想に傾倒していたことも大きく影響しているんです。ある時、彼のアパートを訪ねたら、真っ白なガウンを羽織って分厚い本を読んでいたことがあった。自分を根底から改革しようとするその姿に彼の苦悩が見てとれたし、信仰についても包み隠さず話してくれました。サークルが不発に終わって、「どうしたら人々とコミュニケートできるか」を模索する中で出会った思想であり、彼にしてみれば、リターン・トゥ・フォーエヴァーは単なる思いつきで生まれたセッションではなく、人生を変えようと動いた先にやっと見えた啓示だったんですね。自分の置かれた状況に悩み、芸術家として進むべき道を探していく中からしか作り出せなかった。その啓示を音楽にまで昇華させたのは、新しいメンバーとの出会いということになるわけです。まずはスタンリー・クラーク。そして、アイアート・モレイラやフルート奏者のジョージ・ファレル。彼らと出会えたからこそ、新しい道が見えてきたんだと思います。

わたしがなぜ、そんな貴重な瞬間に立ち会えたのかというと、ひとつに彼らと頻繁に会っていることが大きいのかもしれません。チックはもちろん、無名のスタンリーにしても、これぞと思ったら一緒に行動してしまうんです。彼らだけでなく、レイ・ブライアントなどは会う前から好きなミュージシャンで、目の前でピアノを聞いたらあまりにも素晴らしくて、もう地球の裏側でもどこでもついて行ってやろうという気になった。また後にお話しますが、彼とはその後、アルバムを十二枚も一緒に作ることになるんです。

またジャコ・パストリアスでいうと、ミロスラフ・ビストスに代わり彼がウェザー・リポートに入ってすぐにジョー・ザビヌルから紹介されたのが最初だったんです。ロサンゼルスのホテルで初めての演奏会が始まる前に、その眼光にピンときたので彼の部屋に行って、生い立ちから始まっていろんな話を聞いたんです。そうしたら彼も勢いに乗ってプライベートまで話し始めた。演奏までの時間が迫ってきたのでお暇しようとすると、彼が「これが初めて受けるインタビューなんだ」というわけです。わたしのミュージシャンへのアプローチにセオリーのようなものはありませんが、あえて言うなら距離を作らず、ひたすら彼らの中に入り込んでいくことでしょうか。だから彼らも、ある種ファミリーになったような感覚を持ってくれると思うんです。

そんな例では、ハービー・ハンコックが結成したVSOPクインテットのニューヨーク公演のことを思い出します。ハービーやウェイン・ショーターとも親しかったので、カーネギーホールでの本番前にリハーサルを見学させてもらっていたんです。ビッグプロジェクトでしたから、もちろん非公開。ハービーやウェインが軽く音を出して温まった頃、いよいよフレディ・ハバードが入ってきて、スタジオには緊張した空気が漂い始めた。その時、ドンっと扉を開けて見知らぬ顔のカメラマンたちが入ってきたんです。歴史的なセッションですから、スクープ狙いかもしれません。でも、彼らは一瞬にしてハービーに追い返されたんですね。それで、わたしも邪魔になるといけないと出ようとすると、ハービーが「コヤマ! ユーキャンステイ」と制止してくれたんです。この時は本当に嬉しかったのを覚えています。百戦練磨の彼らでも、プレスの人間に会うような時は身構えているわけです。反対に、わたしには仲間だという感覚を持ってくれていたんですね。普段の付き合いの中から自然に、あいつは自分の音楽を理解してくれている、と感じてくれていたんだと思うんです。

(『ジャズのことばかり考えてきた』より抜粋)

書籍データ

ジャズのことばかり考えてきた 表紙
概要世界のジャズ史にかかわった立役者の回顧録。「スイングジャーナル」編集長、ラジオパーソナリティ、プロデュース、未発表音源発掘などあらゆる面でジャズに携わってきた、ジャズ評論界の第一人者がジャズ史を証言する。ジャズシーンの興隆、名演誕生にまつわるエピソード多数。
タイトルジャズのことばかり考えてきた
著者名児山紀芳
出版社白水社
刊行日2018年7月14日
判型B6判
頁数272頁
定価本体価格3000円+税
ISBN978-4560096437