ヨロコビ・ムカエル? 背表紙
こころの知恵

よそものを歓待する、「おもてなし」の意味。

『ヨロコビ・ムカエル?』を書いたあと、この難民問題に関して小さな──しかし、その問いかけの深さにおいてとても重要だと思える本──『どうなろうとも渡っていく』──に出会いました〔Georges Didi-Huberman, Niki Giannari, Passer, quoi qu’il en coûte, Paris: Minuit, 2017〕。これは、フランスの哲学者・美術史家のジョルジュ・ディディ=ユベルマンが、ニキ・ジャナリというテッサロニキで人道支援に携わるギリシャ人女性と連名で二〇一七年に刊行したものです。安全な暮らしを求めてヨーロッパをめざしながらもマケドニアとの国境が閉じられたためにギリシャのイドメニに足どめされた、シリアやクルドやアフガニスタンからの難民たちを撮ったドキュメンタリー映像作品『幽霊たちがヨーロッパに取り憑いている』(監督マリア・クルクタ、ニキ・ジャナリ、二〇一六年)を、とりわけ作品のなかで朗読されるニキ・ジャナリの詩を論じながら、ディディ=ユベルマンは難民に対するひとびとの否定的な態度の原因について興味深い考察を展開しています。

タイトルが示唆するように、このドキュメンタリー映画において、難民たちは幽霊になぞらえられています。では、難民と幽霊の共通点はなんなのでしょうか。

ディディ=ユベルマンによれば、それは両者ともに「戻ってくる」存在だという点です。定住者たちが、遠い土地から渡ってくる者たち、つまり難民たちを、押し寄せてくる不気味な存在、よそ者、侵入者とみなして嫌悪したり敵視したりするのは、まさにこの幽霊たちが、定住者たちがおのれの奥底に押し隠した不都合な真実とともに戻ってくるからです。そして僕たちが思い出したくないその真実とは、まさしく「わたしたちはみな移民の子どもであり、移民とはまさに戻ってきたわたしたちの親類にほかならない」という事実なのです。それゆえ、ある土地に結びつく絶対的で純粋なアイデンティティなどは存在しないし、どんな国、どんな地域、どんな町、どんな村であれ、そこに暮らすのは、単一の民ではなく、複数の民なのだ、とディディ=ユベルマンは指摘します。

難民たちが得体の知れない存在だと感じられるのは、どこから来たのかも定かではないその「よそ者」が、実は、わたしたち自身の「親類」であり、「先祖」であるからだということになります。戻ってきた者たち=難民たちは、彼ら・彼女らに出会う者たちに、それまで途切れのない純粋なものだと信じて疑いもしなかった自分たちの系譜のなかには、つねに異質なもの、他なるものが混じっていたという居心地の悪い真実を突きつけます。難民たちは、僕たちがそうであったかもしれないし、そうなるかもしれないという意味で、僕たちの「分身」でもあります。すると、難民に対して国境を閉ざすことは、共同体の領土の「外」に、そして同時に、僕たちの意識の「外」へ、僕たち自身ふるさとの「歓待」を追放することになるのかもしれません。

不気味なものとは、僕たちにとってまったく未知なものではなく、なじみ深い、慣れ親しんだものだと説いたのは、精神分析の父フロイトです。抑圧されていた親しみ深いものが回帰するとき、ひとはそれを不気味だと感じるというのです。

幽霊というのは、たしかに僕たちに不都合な真実とともに、そうした真実そのものとして、僕たちのもとに戻ってきます。しかし、戻ってきた幽霊たち、つまりは僕たちの分身たちが突きつけてくるこの真実を、目をそらすことなくまっすぐに見つめることができるひとたち──もちろん、僕はすぐにクロードやエレーヌを思い浮かべます──もまた、この世界には確実に存在します。そういうひとたちは、なじみ深いものが抑圧を解かれて戻ってくることに、不気味さよりもむしろなつかしさを覚えるのかもしれません。よりよき生活を求めて渡り鳥のように移動を続けていた祖先の姿をそこに見いだし、このひとたちに憩いの場──僕にとってはマグノリアの庭はまさにそのような場所です──をあたえたいと、両手を広げて待っているのです。

もしかしたら、歓待──そういえば、この表現は、「歓びを待つ」と読めます──とは、不気味さよりも、人間のもっと深いところにある感情なのかもしれません。

人間の歴史をとことんさかのぼれば、どんな土地でも空白地帯だったはずです。そのいわば何もないところに、どこからかひとびとが渡り鳥のようにやって来て、集落が、村が、町が生まれます。そこで世代が再生され、ふるさとというものが生まれます。時間をかけて、その土地に固有の歴史と文化がつくられていきます。

僕は夢想するのです。ある土地に住んでいる僕たちが、よそから来たひとに親切にしたい、そのひとたちを歓待したいと思うことがあるとすれば、それは、その何もないところに最初に移り住んだときに、僕たちの祖先が感じていたにちがいない不安や恐怖が、僕たちの──DNAでも集合的な無意識でもいいですが──身体に組み込まれているからかもしれない、と。

(『ヨロコビ・ムカエル?』より抜粋)

書籍データ

ヨロコビ・ムカエル? 表紙
概要芥川賞作家・小野正嗣が初めて挑む衝撃の戯曲! 美しい少女ヨロコビと、車椅子の老夫婦オジイとオバアの謎のトリオが、とある村にやってくる。村の大人も子供も、彼らを前に戸惑うばかり。もうすぐ村に「聖なる神輿」の行列が訪れるというのに……。「第33回国民文化祭おおいた2018、第18回全国障害者芸術・文化祭おおいた大会」のために書き下ろされた戯曲『ヨロコビ・ムカエル?』に、世界/文学/故郷をめぐるエッセイ「ふるさとの『歓待』」を併録。
タイトルヨロコビ・ムカエル?
著者名小野正嗣
出版社白水社
刊行日2018年9月4日
判型四六判
頁数146頁
定価本体価格1800円+税
ISBN978-4560094198