昭和前期の青春 背表紙
社会の知恵

やはりおッそろしい国民だと思う

明治には明治と云う時代の色調がある。大正には大正と云う時代の色調がある。では、昭和はどういう色調の時代であるか。──後代は困るだろう。

同じ昭和という名で一括するのが奇怪なほど、それはまったく別の時代である。昭和二十年以前と、以後と。──それは将来必ず「昭和前期」「昭和後期」と名づけられるにちがいない。

「昭和前期」は、幕末の黒船以来約百年近い歴史の一つの結着であった。武力による侵略という欧米列強の物真似だが、あそこまでが一セットだ。

太平洋戦争前、アメリカと戦うことに抵抗した米内光政が、自分たちの抵抗はナイアガラ瀑布の上でボートを逆にこいでいるようなものであった、と後に述懐したが、それはただ開戦前の狂乱的雰囲気ばかりでなく、明治以来の歴史の流れに抵抗しようとするものであったからだ。

その日本の歴史の流れが、実は世界の歴史の流れに逆流するものであったことは、戦後になって日本人がはじめて知ったことである。

「明治人の気骨」などという言葉がある。この「明治人」などという名称があいまいなもので、私は、それは明治期に活躍した人物のことだろうと思うけれど、一方では明治生まれの人を指す意味でも使われる。

明治が、もし誇るべき時代とするなら──生年時でいうなら、それを創りあげたのは西郷、大久保、東郷、乃木、福沢、鴎外、漱石をはじめ、ことごとく「徳川人」であった。そして、大壊滅の昭和前期をもたらしたのは、東条が日露戦争のとき陸軍士官学校に入ったことで象徴されるように、この意味ではまさしく「明治人」たちであった。

この「昭和前期」は、日本歴史上、最低最悪の時代であったというしかない。

それにくらべれば、「昭和後期」は、これまた日本歴史上、最高最良の時代といえる。

私は大正末期に生まれた人間で、昭和元年は四歳だったわけだが、むろんそれまでの記憶はほとんどない。それに、右の明治人の例のごとく、昭和人とは昭和期に活躍した人間だと思っているので、私の場合、別に何も活躍しないけれど、生存の大部分は昭和なので、自分では昭和人だと思っている。

物ごころついたら、もう昭和六年の満州事変が始まっていた。そして、敗戦に至るまでのいわゆる十五年戦争の間、私はその間に両親を失ったこともあって、いま思い出しても憂鬱きわまる少・青年期であった。

もともと身体虚弱の上に、規制に従うことが大きらいな性分で、いわゆる軍国主義にはまるで不適格な人間だったのである。

敗戦によって、ただ一人書斎に坐って、荒唐無稽な草双紙を書きちらしていれば何とか口に糊してゆけるというような時代が来なかったら──私はその劣悪な身体のために戦争へゆくことさえまぬがれたのだが、もしあんな前期のような時代がまだ続いていたら、あと十年と生きてはいられなかったろうと思う。

いま昭和後期は、日本歴史上、最良最高の時代だといったのは、客観的な見解のつもりで、私などは職業上、世の繁栄とは無関係だと思っていたが、とにかく私のような人間にも一応静穏な生活を許してくれたという意味で、やはりそのおかげかも知れない。

しかも、昭和二十年、私は二十三歳。それ以後四十余年、つまり私の人生の約三分の二は昭和後期といっていい。

ところがである。

このごろになって私は、私という人間のすべてを作ったのは、よかれあしかれ前期だ、と思いあたることしきりである。だいいち、まがりなりにも小説なんてものを書く能力は、あの暗鬱な──もっとも事実上の行動としては始末におえない不良少年で、暗鬱なというのは心象風景だが──十代にあったのだ、と考えないわけにはゆかない。あの時代に自分のすべてがあったのだ。

それにくらべれば、戦後の四十余年は、ある意味で「無」であったような気がする。

しかも、自分のことばかりではなく、日本全体がそうであったようにも思われて来た。

そんなはずはない。日本が再勃興して歴史上未曾有の繁栄を謳歌していることは私も充分認めている。
しかし、かりに「昭和史」を書くとするなら、四十余年の「後期」は、二十年の「前期」の数分の一ですむのではあるまいか。歴史として見ればその面白さは──たとえ生皮をはぐような苦痛を伴うにしても──「前期」にこそあるのではあるまいか。

黒船以来、百年の歴史が潰滅する凄惨無比のドラマだ。ダンテの「神曲」が、天国篇より地獄篇のほうが面白いようなものだ。

その潰滅をみずから呼んだにひとしい狂や愚や罪はいまだに鞭打たれているけれど、一方でこのごろ次のようなことも考える。

いったい、アメリカ、イギリス、中国、ソ連、これに対して同時に戦いを挑んだなどという国家が、史上にあったろうか。これは狂や愚や罪の常識を超えていると──。

しかも、何たること、国民の九九%までが、その戦争に勝つと信じていたのだから、何をかいわんやだ。

この意味では、やはりおッそろしい国民だと思う。

そして、その大愚行は「前期」でご破算になったはずだが、ひょっとしたら、ただ手法を変更させただけで、日本はそれまでと同じコースをたどっているのではあるまいか? という疑いが生じて来た。──すると、日本の昭和は、前期後期、やはり一セットということになる。

だれか特定の個人ないし集団があってそんなことを志向しているわけはないが、無意識なだけにいっそうおッかない現象だ。

国の生き方を、反世界ほどに逆転させて再行進をはじめたときの合言葉は、たしか「東洋のスイスになろう」という声であったが、そのスローガンがいまでは別の日本の突拍子もない歌声だったように思い出される。

私はここ十年ばかり前から、同じ昭和後期でも、さらに日本が一変しつつあるのを感じているが、それはただ経済力の異常な急膨張ばかりではなく、日本人の大半が、戦争を知らない昭和後期人によって占められて来たからだと考える。

いまやバトンは、昭和前期人から後期人へ渡されようとしている。

しかし、たとえ手法を変えようと、無意識であろうと、また世代が変ろうと、限度を越えた日本の疾走を世界が見のがすはずがない。それは昭和前期の軍国日本に対するのと同様である。特にアメリカという国は、本来は大変寛容な国だが、ただ自分をおびやかす存在だと認めると、理非を問わずこれをたたきつぶすのに熱中する国である。

あやうし、「昭和後期人」の日本!

と、残り少なくなった、昭和前期経験者として、夜半憂い顔をすることもあるのである。

(『昭和前期の青春』より抜粋)

書籍データ

昭和前期の青春 表紙
概要戦前・戦中に青春を過ごした山田風太郎は、太平洋戦争へ言及した文章が多く、当時の日記を刊行した『戦中派虫けら日記』『戦中派不戦日記』は名著と、評価も高い。この日記の時代を著者自ら振り返り、自身の生い立ちと時代背景に大きくある戦争に関する文章を集めたエッセイ集。「太平洋戦争私観」「ドキュメント・一九四五年五月」「二十歳の原点」「私と昭和」等、戦争を語りながら深刻ぶらず、飄然とした筆致に小説家山田風太郎の原点がうかがえる。
タイトル昭和前期の青春
著者名山田風太郎
出版社筑摩書房
刊行日2016年1月7日
判型文庫版
頁数301頁
定価本体価格880円+税
ISBN978-448043312