ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者が考えたこと 背表紙
社会の知恵

子育てを親だけでやらない社会がある

ジャレド・ダイアモンドは、『昨日までの世界』で、伝統的社会で見られる「アロペアレンティング」(代理養育)と呼ばれる子育て法に着目している。それは、「子育て」を表すparentingに「もうひとつの、代わりの」という意味のalloという接頭辞を付けて、「実の親ではない人物による養育」という意味合いを持つ用語である。生物学的な親以外の大人(たち)が、子どもたちの世話をして養育することが、アロペアレンティングである。

ダイアモンドによれば、広い意味でのアロペアレンティングは、ヨーロッパ世界でもかつてはおこなわれていた。しかし、アロペアレンティングとは、近代社会よりも伝統的社会でより重要な制度であったのだという。

「子どもにとってアロペアレントは物質面で重要な存在である。親以外の存在として、自分に食物や保護を提供してくれる存在だからである。世界各地の小規模社会に関する研究からも、アロペアレントの存在が子どもの生存率を高めることが示されている。そして、親以外の人々が子どもの養育に関与することは、子どもの心理面の発育のうえでも重要である。それらの人々は、子どもに、いろいろと人生に必要なことを教えてくれる存在でもあり、子どものとるべき行動のお手本となる存在だからである」[『昨日までの世界』325ページ]

アロペアレンティングによって、子どもたちは食料と保護を与えられ、多数の大人によって人生で必要なことを教えられ、心理面の発育が促される。さらには、実親と養親の間の社会的な絆を固める。

ボルネオのジャングルで狩猟採集生活を送る「プナン」の社会でも、実親以外が子どもを世話するという意味で、アロペアレンティングがおこなわれている。ふつうの親子関係が営まれている場所のすぐ隣で、血のつながりのない一組の男女と子どもの間にも親子関係が結ばれ、それらの二組の親を含む多数の大人たちによって子育てがおこなわれている。そのことは、基本的には、生みの親と養親の意志による主導でおこなわれる。互いの親の合意によって、子どもが「養子」となり、養育の場が養親のもとに移される。養子が乳呑み児の場合には、完全に場所を移ってしまうのではなく、近くにいる生みの母親のもとで母乳が与えられる。

子どもがいない夫婦が養子を迎えて育てるということももちろんある。しかし、それはプナンのアロペアレンティングの主軸ではない。日本では、兄弟・親類や他人の子と親子関係を結ぶ「猶子」を除けば、家父長制的な家族制度のもとで、家を存続させるための養子縁組がおこなわれることが多かったが、プナンの養子とは、家のためにおこなわれる養子縁組ではない。

プナンは、「アナック・ラン(実の子)」と「アナック・アムン(養子)」を区別することがある。しかし、実子か養子かを問わず、親たちが共同で子育てをすることに、プナンのアロペアレンティングの主眼がある。そのため、夫婦には子どもがすでに何人もいるのに養子を迎えたり、祖父母が娘の息子を養子として引き取って育てたりすることがある。子どもの側から見れば、養親とともに生みの親が近くに住んでいることがほとんどで、その場合、養親と生みの親のどちらとも頻繁に行き来をすることになる。

五十歳代の男性ジャガンのアロペアレンティングを含めた子育てを見てみよう。プナンの配偶制度は一夫一婦的で、男女が次から次へとパートナーを替えていくことで、一夫一婦の原則は保たれている。男女の結びつきが先にあり、実子にせよ養子にせよ、子を得ることが、プナンの「結婚」である。

ジャガンという名の男性は20歳になったころにパートナーと暮らすようになり、その後3人の子どもをもうけた。30歳を目前にそのパートナーと別れ、子どもたちは、母親と一緒に暮らした。その後、ジャガンは新たなパートナーを見つけたが、その女性との間には子どもがすぐにはできなかったので、養子を迎えて育てることにした。5年ほど経つと、ジャガン夫婦には相次いで二人の子ができ、養子一人と実子二人を一緒に育てることになった。養子は、ジャガンと、近隣に住む彼の実の親とその家族の間を行き来しながら大きくなった。

子育てが一段落すると、ジャガンと妻は幼い子がいないのは寂しいという理由で、近隣に住む親族(後述するスリン夫婦)から生まれたばかりの乳呑み児を養子として迎えた。乳呑み児には最初、生みの母親によって母乳が与えられ、その後、ジャガンたちが主に養育するようになった。その子が歩き始めるころに感染症で死亡すると、ジャガンは、その後、近隣で生まれた新生児を新たに養子として迎えた。

もとより、こうしたアロペアレンティングは、ジャガンと彼の妻が始めたものではない。ジャガン自身も、養父によって主に養育されたし、彼の母の兄弟姉妹たちが暮らす場所で、親たちの世代の大人たちによって育てられて大きくなったのである。

スリンは20歳代で、ジャガンのいとこにあたる女性とパートナーになった。第一子は女の子で、生まれるとすぐに隣住の子どものいない夫婦のもとに養子に出された。第二子、第三子は女の子で、スリン夫婦のもとで育てられた。第四子は女の子で、すでに何人かの子どもがいる別の隣住の夫婦のもとに養子に出された。第五子は男の子で、スリンたちのもとで育てられた。女の子であった第六子は、上で見たジャガンのもとに養子に出されたが、幼くして死んでしまった。第七子の女の子は、第一子と同じ夫婦のもとに養子に出された。第八子である男の子は、スリンが育てている。スリンは、8人の子どものうち4人を養子に出しているが、養子先はすべて近隣の家族である。子どもたちの側からいえば、いつでも実親・養親のどちらとも会える距離にいたことになる。

プナンのアロペアレンティングは、血のつながりのない親子のフィクティヴ(擬制的)な親子関係を血のつながりのある親子関係に加えることによって、多数の大人が子育てに関わることである。親が養子を引き取って、自分の家の中だけで育てることはない。プナンの社会空間それ自体はとても開放的な空間であり、養子は、養親と生みの親だけでなく、共同体に出入りする大人たちによって養育される。多数の子どもたちに対して、多数の大人たち、年長者たちが入り混じって養育に加わる。

親の側から見れば、子育てに対する負荷が少ない。虐待などをおこなうような誤った育て方は、多数の目によってチェックされる。

子どもたちは、早くからいろんなタイプの人と交わって人間関係を学び、精神的にも成長する。それが、アロペアレンティングである。

プナン社会では、養子と実子がひとつの家族の中で互いに混ざりあって、親子という現実をつくり上げている。プナンの家族については、そのどちらが「本当の」親子関係だと言うことはまったくできない。プナン社会では、実の子であれ他人の子であれ、親とのあいだに結ばれるのが、親子の関係に他ならない。

(『ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者が考えたこと』より抜粋)

書籍データ

ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者が考えたこと 表紙
概要ボルネオ島の狩猟採集民「プナン」と暮らす中で、人類学者が考えたこと。ニーチェの思想をてかがりに、豊かさ、自由、幸せとは何かを根っこから問い直す、刺激に満ちた人類学エッセイ。
タイトルありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者が考えたこと
著者名奥野克巳
出版社亜紀書房
刊行日2018年5月24日
判型四六判並製
頁数352頁
定価本体価格1800円+税
ISBN978-4750515328