動物と人間の世界認識 背表紙
Created with Sketch. 自然の知恵

トリにとって動かないものは存在しない

人間が客観的だと思っている世界は、動物には当てはまらない。例えば、以下に紹介する動物は、目の前にいるのが動物や生物だとしても、それが存在するかどうかは動きの有無によって判断しているのだ。動物行動学者による驚きの一冊。

さきほど述べた小鳥の場合と同じように、生きた獲物を食べている動物たちの環世界の中で、非常に重要なのは生きて動くものの動きである。何が動くかということはそれほど重要ではない。動くということが重要である。そして、動かないものは意味がない。意味があるのは、その動きである。そういうことから彼らの世界は構築されている。イタチのように、小さな動物を食べて生きる動物でも同じであることを、かつてぼくは経験した。

ケージの中で飼っているイタチの餌として小さなマウスを与える。マウスはちょろちょろっと走りながら、イタチの存在を知る。たぶん匂いがするのであろう。そういう小さな動物たちにとって大事なのは匂いである。匂いによって、危険か、危険でないかという環世界を作っているのではないかと考えられる。そこでマウスは急いで逃げようとする。イタチはそのマウスの動きをきわめて敏感にキャッチする。そして、いきなりそこに走ってくる。走ってきたときにそれを見るのかどうかわからないが、マウスはとたんにそこでフリーズする。つまり、凍りついたように動かなくなるのである。

そのとき、じつにおもしろいことに、イタチにはそのマウスが見えなくなってしまうらしい。そしてマウスの存在もわからなくなるらしい。すぐそこにマウスがじっとちぢこまっているのに、イタチはその辺をうろうろしている。イタチにとって動かなくなったものは存在しないのである。マウスはそこでじっとしながら、イタチの様子をうかがっている。イタチがあきらめて、遠ざかろうとすると、その隙をねらって、マウスは急いで逃げようとする。ところが残念ながら、その動きがイタチの目にはいってしまう。とたんにそのマウスはイタチにとって意味のあるものに変わり、イタチはすぐそこに走っていって、あっというまに、そのマウスに噛みつき食べてしまう。トリの場合も同じように、動かないものは意味がない。動くことにこそ意味があるのである。

このことが今度は、いわゆる保護色をしている昆虫の世界にとって意味をもってくる。保護色をしている虫、たとえばイモムシとか、あるいは、小さな昆虫たちは、非常に動きが鈍い。いきなり動いたりすることは、きわめてまれである。そういうものがじっとしていると、トリはまったく気がつかない。気がつかないというのは正しくないかもしれない。気がつかないのではなくて、そういう動かないものはトリたちの世界に存在していないことになるのである。保護色をした昆虫がじっと動かずにいることは、トリにとって存在しないのと同じだから、トリはそばを通り過ぎてしまう。保護色をした虫はそれで敵を免れる。

たとえば、シャクトリムシは本当に木の枯枝によく似ている。そして木の太い枝にとまって、いかにも枯れ枝のように、ぴんと伸びた姿でまったく動かない。じっとしている。そのとき、このシャクトリムシはトリの世界から完全に脱落している。トリにとって彼らは存在していないのである。それでシャクトリムシは生き長らえる。もし、シャクトリムシがトリがそばにいるときにいそいで逃げようとして動こうものなら、たちまちトリの環世界の中で意味を持ってしまうだろう。

同じように、ものすごい保護色をしたカメレオン。カメレオンは歩くときにじつにゆっくりと歩く。見ていていらいらするくらい一歩ずつ足をだして、のろりのろりと歩いていく。けれど、カメレオン自身は、動くものに意味を持たしているのである。そして、のろりのろりと歩きながら、目の前で急速に動くものを探している。空腹のカメレオンにとって、動くものは獲物という非常に大きな意味を持っている。カメレオンはこの獲物に向かっていきなり長い舌を突き出す。そしてそれを捕まえてしまう。

いずれにしても、意味のあるのは主体である動物の環世界を構築する動きであるとか、あるいは音であるとか、そういうささいなものであって、それがじつは環世界構築の基になっている。そのほかに存在しているもの、われわれが客観的だと思って見ているいろいろなものは、そういう動物にとっては存在していないに等しい。われわれが見ている環境なる世界は、それぞれの動物から見たときにはまったく違う世界として構築されていることになる。だから、彼らの環世界は客観的なものではない。それは主体の動物にとってのみ存在する、主体の動物が構築したきわめて主観的なものである。それは、まったく同じ林の中においても動物によって全部違っている。それは、それぞれの動物が作りだしているある種のイリュージョンの世界であるといってよいだろう。

このような環世界の例は、動物ごとにあげていけばきりがない。植物は神経系をもっていないので、どのような世界を構築しているのかわれわれにはわからない。しかし動物の場合には少なくとも、彼らの行動を見ていれば、その動物がどういう環世界を構築しているかということは想像がつく。その環世界はその動物主体にとって意味のあるものだけで構築されているので、いわゆる客観的な環境から拾い出されたようになっている。われわれが見て客観だと思っている環境とはまったく違った世界である。

(『動物と人間の世界認識』より抜粋)

書籍データ

動物と人間の世界認識 表紙
概要人間含め動物の世界認識は、固有の主体をもって客観的世界から抽出・抽象した主観的なものである。いわば、「イリュージョン」だ。動物行動学の認識論に、固定観念がガラガラと崩れる。
タイトル動物と人間の世界認識
サブタイトルイリュージョンなしに世界は見えない
著者名日高敏隆
出版社筑摩書房
刊行日2007年9月10日
判型文庫判
頁数202頁
定価本体価格840円+税
ISBN978-4480090973