共通語の世界史 背表紙
社会の知恵

英語の単語こそが現代社会の欲求を表現する

ことばの「シェア」をうながす三つの有力な道具は、商業・宗教・軍隊。社会言語学者のクロード・アジェージュ(コレージュ・ド・フランス名誉教授)が、史上最強の「共通語」である英語について語る。

アメリカ合衆国からオーストラリアやニュージーランドまで、南アフリカからカナダまで、さらには、インドのように、英語が国民語ではないまでも公用語の地位に就いている国々が同じくらいのひろがりを見せていることも考えに入れるなら、英語が商業と軍隊によって地球上の津々浦々にまでもち運ばれて、広大な空間を占めるにいたったわけである。もちろん、これ自体はヨーロッパに関わる出来事ではない。しかし、英語がこうした遠くの国々をヨーロッパに近づけると、ヨーロッパ諸国とのあいだの政治的、経済的な関係をささえる言語となったために、その跳ね返りとして、英語が出生地であるヨーロッパ大陸において大きな重要性をもつこととなった。他方で、いまや低廉な価格の長持ちしないスペクタクルと情報が大量生産されて、ヨーロッパ市場に出まわっているが、それらの商品はメディアお得意の攻撃道具であり、その効果はきわめて大きい。こうして英語に包囲されて、多言語のヨーロッパのあちこちで、単一言語のスローガンを耳にするようになった。

その結果は、予想どおりだといってよい。多くのヨーロッパ人の目には、英語が、ひとと話をして分かりあいたいという抑えがたい欲求──「対話への欲動」といってもよい──にもっともよく応えてくれる言語のように映っている。この点で英語は、共通語にふさわしい役割を満たしている。ヨーロッパの歴史のなかで、英語以前に、これほど広大な空間を占有した言語はなかった。たしかに、現在の世界はバベルの神話のごとき混沌におちいっていると考えるひとがいる。そうしたなかで、「融合のノスタルジー」は対話への欲動を生みだし、なんとかして諸言語のつくる壁を打ち倒そうとしてやまない。そして、英語はほかのどのことばよりも、この「融合のノスタルジー」を反響させている言語のように思われている。しかし、人間社会には、それと反対のちからもはたらいている。「融合のノスタルジー」には「差異への欲求」が対立している。言語ナショナリズムはそのもっとも端的な現われである。後に見るように、ヨーロッパでは、言語が愛国意識を高めるきっかけとなることがよくある。そのヨーロッパにおいて、言語による自己主張の渇望は、共通語の必要性をなきものにしないまでも、共通語の圧力を減らそうとする性質をもっている。こうしてみると、ヨーロッパは、英語に開かれていると同時に、言語的多様性を守ろうとする明確な態度を示しているといえる。

しかしながら、より目立たないかたちで、このふたつのちからの対立を激化させたあげく、英語のちからを強める結果を招くような補完的な要因が存在する。英語圏の国々が英語の普及をとくに後押ししているわけではないと考えることもできなくはないし、実際にそう考えるひともいる。というのは、英語圏の勢力が自然に英語をひろめるように仕向けているのであって、そのようなバックアップはとりたてて必要ないからだ、というわけである。しかし、ここには見落としがある。覇権の道は、ローマ帝国の時代でも今日でも変わりはない。ある勢力が世界経済を左右する力を掌握すれば、その生産物のための市場を征服するのと同様に、その言語を使わせるように決定力をはたらかせることができる。しかも、言語と商品は切っても切れない関係にある。というのは、言語を輸出すれば商品の輸出への道を開くことにつながるのは、物事の自然な流れだからである。たしかに、アメリカ合衆国のような国では、さまざまな領域において権力は中心に存在せず、したがって、連邦政府は私企業の行為に直接かかわらない。それはたとえば、私企業が大学に対して寛大な財政援助を提供する条件として、これまで教えられてきた言語をカリキュラムから廃止して、英語を優遇するような場合でもそうである(Marcel 1973参照)。しかし実際には、この種の取引は、私企業の利益にかなうと同時に、その商業的拡大を通じてアメリカ合衆国の言語をわれわれに提供するのである。

経済的拡大、共通語の必要、政治的サポートなどの外的な要因にくわえて、それらの帰結として、英語の普及をさらにいっそう拡大させる別の要因がある。世界のすべての言語のうちで、英語はひとびとの求めるニーズにもっとも密着して発展してきた言語であり、そのニーズを言いあらわすのに長けている。これは驚くべきことではない。というのも、英語は主として北アメリカ大陸に位置する国の言語であり、そこでは、物質生活においても精神生活においてもニーズがつぎつぎと生まれ、それに応えるための科学技術の研究活動を呼びおこしているからである。そうなると、すでに存在する単語にせよ、人為的につくった単語にせよ、英語の単語こそが現代社会の欲求を表現することになる。英語がいたるところにひろまるにつれて、英語はこうした欲求を社会にばらまく。さらにまた、欲求を満足させる商品に英語の名前がついているならば、その生産物そのものが、みずからに随伴するその名前をあらゆる場所に浸透させる。たしかに、多くの国々では、新語造成の活発な活動が進められており、英語以外の言語のなかに対応する単語を作りだすことで、殺到する英語の単語の流入を抑制しようとしている。たとえば、フランスやケベックではフランス語での新語造成がおこなわれている。けれども、英語の新語の量の多さやその増加のテンポの速さには著しいものがあるので、用語委員会は満足に作業が進められない状態にたえずおちいっている。その仕事の中身は、十九世紀の言語委員会が取りくんでいたものとはまったく別物であって、その量から見て工業製品やそれに必要とされる技術に関するものが大部分である。

そういうわけで、使用者にとってみれば、英語の術語をできるかぎり近い発音で採り入れるように働きかける誘惑は大きいものがある。英語はコストと利益のあいだに最善の比率を打ちたてるように見えるのだ。実際、ばらばらの用語を採用するのに不満で、コミュニケーションのためには最小限の学習だけですませたいと思う者なら、より大きな利益が期待できる取引にますます多くの労力を注いでやまないであろう。そして、英語が国際的に占める位置は、この利益を保証してくれるように見える。なぜなら、現在の状態から見て、英語を知っているヨーロッパ人であれば、相手の言語を学ぶつもりがなくても、別のヨーロッパ人と英語を使ってやりとりができるからである。こうして結果が原因に転ずる。英語は巨大な需要に応えてくれるので、いまやほとんどのヨーロッパの国々で第一外国語として教えられている。多くの国では、重要で定期的な関係を結んでいる隣の国の言語よりも、英語のほうが圧倒的に高い地位を占めているほどだ。これまで述べてきたさまざまの要因が結びついて、たがいに強めあうことで、ヨーロッパへのアメリカ英語の普及が揺るぎない傾向となっているのである。

(『共通語の世界史』より抜粋)

書籍データ

共通語の世界史 表紙
概要ヨーロッパに息づく少数言語から、世界中で息まく連合言語まで! ホモ・ロクエンス(話すひと)の驚くべき多様性がおりなす人類史をめぐり、ことばの「シェア」に秘められてきた三大要素をときあかす。社会言語学の泰斗による名著、待望の邦訳。巻末に、言語分布地図・言語名索引付。
タイトル共通語の世界史
サブタイトルヨーロッパ諸言語をめぐる地政学
著者名クロード・アジェージュ
出版社白水社
刊行日2018年11月27日
判型4-6
頁数380頁
定価本体価格4600円+税
ISBN978-4560096598