民主主義を直感するために 背表紙
社会の知恵

土砂投入が強行された辺野古をあらためて直感するために

沖縄民意の反対を押し切り土砂投入が強行された辺野古。政治的な問題を考える時、最初にある素直な直感はとても大切だ。「これは何かおかしい」という感覚が得られたならば、そこからは「なぜこうなっているのか?」という問いかけが生じ得る。哲学研究者が辺野古を見て歩いて得た直感を伝えるレポート。

今年、二〇一五年三月二七日から二九日の三日間、私は沖縄に滞在した。沖縄を訪れたのはこれがはじめてである。フェイスブックで知り合いになった平田まさよさんから、ぜひ那覇のジュンク堂でトークショーを行って欲しいとお誘いを受けたのがきっかけだった。昨年来、何とか辺野古を見に行きたいとは思っていたが、なかなか踏み出せずにいた。その機会が訪れた。私はトークショーの次の日に、一日かけて辺野古を案内してもらうことになった。

いま、沖縄県名護市辺野古に、アメリカ合衆国海兵隊の新しい軍事基地が建設されようとしている。これはつまり、日本の国内に外国の軍隊の新しい基地が作られようとしているということだ。何の事情を知らなくとも、この事実だけで何かがおかしいと感じられる。現地では大きな反対運動が起こっている。選挙でも建設反対の意思が何度も確認された。ところが日本国政府は知らぬ振りをして、外国の軍隊のためにせっせと仕事をしている。このこともおかしい。

政治的な問題を考える時、最初にある素直な直感はとても大切である。人は何ごとについても直感を得るわけではない。したがって、たとえ事情に通じていなくても、「これは何かおかしい」という感覚が得られたならば、それだけで貴重である。そこからは「なぜこうなっているのか?」という問いかけが生じ得るからだ。その意味で、いかなる直感も大切にされねばならない。直感を得られたということそれ自体が、関心の芽生えを意味している。

いま辺野古で起こっていることについて、私は「これはおかしい」と直感していた。沖縄を訪れる前、僅かではあったが現地の事情を自分で調べてみて、その直感は強まっていった。そして現地に赴き、その直感は非常に強固なものとなった。この記事を読んでくださっている読者の中には、私と同じように辺野古を直感している人も多いであろう。もしかしたら基地建設反対の意見を持っている人が、大多数かもしれない。だが他方で、辺野古で何かが起こっていると知ってはいても、何も直感していない人も少なくないかもしれない。直感とは不思議なものであって、同じことを体験しても、それを得る人と得ない人がいる。

この辺野古訪問記の目的は、より多くの人に辺野古について直感してもらうための材料を提供することである。なるべく事実関係の解説も織り込んでいくつもりだが、それについては他にも適任の方々がたくさんいる。むしろ、私のように辺野古について直感している、あるいは直感しそうであるが、この問題についてうまくアクセスできずにいる、そのような方々の一助となることを目指したい。

私は現地にいくまで「辺野古」を、「へのこ」とではなく、「へのご」と発音していた(自分のパソコンがこの地名をうまく変換しないのは、日本語ソフトの出来が悪いからだと思っていた)。私の知識はその程度のものである。だが幸いにも私は、自分の辺野古についての直感を確かめに、現地にまで赴く機会を得た。辺野古について直感している人や直感しそうな人であっても、誰もが辺野古を訪問できるわけではない。だから、私はこの貴重な機会をそのような方々と共有したいのである。

二八日、午前九時三〇分。那覇市内のホテルを出発する。昨日の雨模様とは打って変わって、見事な快晴である。那覇に招待してくださった平田さんとそのご友人の内間ルミ子さんに、車で辺野古まで連れて行っていただく。

道中、前日のトークイベントの話になる。イベントは平田さんが企画してくださり、ジュンク堂書店の細井店長に直接交渉して実現したものだった。平田さんは書店員でもなんでもなく、一人の客に過ぎない。もちろん私としては感謝の気持ちでいっぱいだが、それより何より、この行動力を前にしてとてもすがすがしい気持ちになる。

実は、前の日のトークイベント後の打ち上げでも、すがすがしい行動力の話を聞いた。打ち上げに参加してくださった親泊仲眞(おやどまりちゅうしん)さんは、なんと二〇年ほど前の一九九二年、精神分析家・哲学者のフェリックス・ガタリを沖縄に招待したチームのメンバーであるという。沖縄に来て、ガタリの名前が聞けるとは……。私はガタリの本を翻訳した経験があるので、ずいぶんと驚いた。「ガタリを沖縄まで呼ぼうって話になったんですよ」と親泊さんは水割りの泡盛を飲みながら楽しそうに語ってくれた。これまた、なんとすがすがしい行動力であろうか。

思い起こせばガタリは、沖縄の地で、彼が晩年になって取り組んだエコロジーの思想を語ったのだった。そこでは自然環境だけでなく、社会的諸関係、そして精神という三つの軸を同時に思考する「三つのエコロジー」が構想されていた(フェリックス・ガタリ『三つのエコロジー』平凡社ライブラリー)。沖縄、植民地主義、基地建設、自然環境、エコロジー、民主主義、抗議行動。様々な言葉が、何かの必然性をもって結びついているかのように頭のなかで回りはじめる……。

さて、辺野古の名前は聞いたことがあっても、あるいはまた、地図で辺野古の位置は知っていても、那覇市内からどれぐらい離れているのかについては、なかなか想像できないかもしれない。我々の車が辺野古に到着したのは十時半頃のことであった。約一時間。意外に近い。

辺野古の集落に車を停める。ここから漁港まで散歩する。歩きながら平田さんに、沖縄の建物のこと、道に生えている木々や植物のことを説明してもらう。福木(ふくぎ)と呼ばれる木がいくつも生えている。これは沖縄の人が大好きな木だという。防風や防火の意味も込めて植えられたものらしい。通りの雰囲気がどことなく、一度訪れたことのある北アフリカを思い起こさせる。海の近くだが、潮臭さがなく、風がさわやかであるからかもしれない。

漁港では浅井大希さんという方にお会いして、辺野古の事情を詳しく説明していただくことになっていた。浅井さんに案内をお願いできたのも、平田さんのおかげである。海に着くとちょうど浅井さんが車で到着されたところだった。浅井さんは愛知県の出身だが、沖縄に住んでもう二二年になる。大学の法学部を卒業後、しばらくは法律事務所で働いていたが、沖縄の女性と結婚してこちらに移住された。移住後に家具や建具の制作を始められ、沖縄の棟梁に師事して建築も手がけるようになった。現在は一級建築士、大工として住宅の設計から施工までを行う。

浅井さんに辺野古の案内をお願いできたことは本当に幸運だった。これほど充実した辺野古訪問は、浅井さんの解説なしでは考えられないものだった。辺野古基地建設問題との関わりについて、浅井さんご自身はこのようにお書きになっている。

辺野古の基地問題は、次男が一歳の一九九六年、日米両政府が普天間飛行場の返還に合意したことに始まります。以後一八年、この間も米軍による事件・事故は数限りなく起こり、抗議の県民大会が何度も開かれ、そこに家族でどれほど参加したことでしょう。〔…〕抗議の集会には、家族でできるだけ参加してきました。しかし、生活の基盤作りに取り組むのに精一杯で、辺野古の基地反対運動に積極的に関わることはしてきませんでした。でもいよいよとなったら辺野古へ行こう、阻止行動に参加しよう、その気持ちを忘れたことはありません。妻と口に出して話し合ったことはありませんが、お互いにその日がくることは分かっていました。
(浅井大希「絶対に造らせない──辺野古の新基地」二〇一四年九月三〇日発刊『たぁくらたぁ』34号)

この文章の全文を引用できないことが残念である。これは辺野古基地建設問題の経緯と、それに対する反対運動の展開を、実にコンパクトにまとめた名文であり、是非とも広く読まれることを期待したい。

浅井さんと最初に向かったのが、辺野古漁港付近の浜である。辺野古の映像として、フェンスで分断された砂浜をよく目にするが、あの砂浜である。フェンスには、基地建設への抗議の意を記したプラカードやリボンがたくさんくくりつけてある。そのフェンスを左手に見ながら、浅井さんが海を指さし、「あの大きな船が、海上保安庁の巡視船ですね」と教えてくれた。

この海ではいま、基地建設のための海底ボーリング調査が行われようとしている。基地建設に反対する住民たちはそれに対し、漁船やカヌーで抗議活動を行っている。海上保安庁(通称「海保」)の巡視船は、そうした抗議活動を排除するために、いまこの海に来ている。

少しずつ、計画されている米軍基地の説明をしていこう。この浜のフェンスの向こう側は、キャンプ・シュワブという名称の米軍海兵隊基地である。辺野古の新基地というのは、既に存在するこの基地を大幅に拡張する形で建設されようとしている。

浜に面していることから分かるように、キャンプ・シュワブは海沿いにある。その海をダンプ三五〇万台分もの土砂で埋め立て、V字型の滑走路を建設するというのがこの計画の骨子に他ならない。埋め立てによって、水深の深い箇所が利用できるようになるため、そこに強襲揚陸艦と呼ばれる巨大な軍艦が帰港できる軍港も作られることになっている。また、内陸部には巨大な住宅団地、即ち兵舎の建設も予定されている。キャンプ・シュワブには大きな弾薬庫もあるから、もし新基地が建設されれば、弾薬庫、滑走路、軍港、兵舎、訓練施設を備えた巨大な総合的軍事基地がここに出現することになる。五〇〇〇億円は下らないと言われるその建設費用は日本政府が負担する。

辺野古を直感するために

ボーリング調査が完了しなければ、二〇一五年夏からの実施が予定されている海の埋め立ては行えない。漁船やカヌーによる抗議活動は、この調査を何としてでもストップさせようとしている。一〇年前、辺野古の海上ヘリ基地建設のためにボーリング調査が行われた際には、抗議運動は、調査用のやぐらを撤去させることに成功している。今回も、実際に調査を行っているスパット台船に乗り込み、そこに座り込んでの抗議を目指しているのだが、ほとんど実現していない。海保が非常に激しい排除行為に出ているからである。

現在、海上での抗議活動を行うカヌーや漁船に対する海保の暴力的な対応が、「過剰警備ではないか」と非難を浴びている。海保は、日本沿岸水域での海難防止や安全の確保、各種法令の遵守などを任務とする行政機関である。海の安全を守る大変重要な組織だ。その組織が、海上での抗議活動という政治的意見表明を取り締まるために利用されている。

政府は工事着工に合わせ、昨年七月一日、辺野古沖に新たな立ち入り制限水域を設定することを閣議決定。翌日二日に官報に告示した(閣議決定だけでこのような重要事項を設定できるのかどうかが疑問視されており、法的根拠も曖昧であることが指摘されている)。黒いゴムボートに乗った海保の職員たちは、この臨時制限区域への船舶等の立ち入りを阻止するためにここにいることになっている。確かに立ち入りが禁止されているのだから、その区域に立ち入った船舶等があれば、それに対し、区域からの離脱を指導することは正当な業務遂行と言えよう。ところが、その「指導」は、工事着工当初から、非常に暴力的なものであった。ゴムボートでカヌーに体当たりして転覆させるとか、無理矢理にボートに引き上げるとか、そうした行為が繰り返され、何度も報道されている(因みに、海上保安庁の黒い「ゴムボート」は、ゴムとは名ばかりでトラックのタイヤのような固さである。価格一〇〇〇万円程度の高性能・準軍事仕様で、四〇〇馬力のエンジンを積んでいる。普通の漁船が一〇〇馬力というから、その四倍の力でカヌーに体当たりしてくるわけである)。

たとえば一例を挙げるなら、私が辺野古を訪れる少し前の三月一〇日には、臨時制限区域を示すように設置された浮具を越えた男性二人の乗るゴムボートに、後方から追走した海上保安庁の特殊警備救難艇「あるたいる」(約五トン)が衝突するという事件が起こっている。

ボート後部に乗っていた男性に、「あるたいる」の船首が乗り上げる写真が報じられた(『琉球新報』二〇一五年三月一一日)。「調査が行われる区域での航行は危険であり、海保の行動は安全指導の一環」というのが当初からの海保の説明だが、衝突時には海上での作業は行われていなかった。

しかも、海保による取り締まりや解除行動は、実際のところ、当初から、堂々と、臨時制限区域の外側で行われている。工事が着工したばかりの昨年の八月一五日、海上保安庁は巡視船一六隻、ゴムボート約二〇艇を投入。抗議船やカヌー、更には報道陣の船までをも追尾するとともに、制限区域の外にいた三人の身柄を拘束した。その際、はじめてけが人が出た(『琉球新報』二〇一四年八月一六日)。

今年二月には、カヌーに乗って抗議していた八人を拘束した後、沖合三キロの外洋まで連れて行き、その場にカヌーとともに放置するという信じられないような事件も起きている。現場海域は波のうねりがあり、自力で岸に戻るのは困難な状況であったという。抗議船が救助に来たことで、八人は危うく難を逃れた。『琉球新報』は社説でこの事件を取り上げ、海上保安庁の暴力行為を強く非難した(「〈社説〉市民を外洋放置海保は海守る原点に戻れ」二〇一五年二月四日付『琉球新報』)。同社説は、その他、カヌーに乗っていた男性をいきなり海に突き落とす、抗議船に乗っていた女性監督に馬乗りになる、カヌーの男性の胸を強く押さえ付けて肋骨を骨折させる、カヌーの乗船者からパドルを奪い取って海に放り投げるなどの海保のこれまでの数々の暴力行為に言及している。

これではどう説明しても「安全指導の一環」とは言い逃れできそうにない。今年一月には、海上保安庁による目に余る暴力行為について、沖縄県選出の参議院議員糸数慶子氏が国会でこれを非難し、政府に説明を求める事態にまで至っている(糸数慶子「名護市辺野古における海上保安庁による過剰警備に関する質問主意書」平成二七年一月三〇日提出)。だが、状況は少しも変わっていない。

不当と思われる取り締まりや暴力行為が繰り返されるこのような状況においては、全体が、いかなる目標をもって動いているのかを見定めることが重要である。個々の事例を検証し、その不当性を訴える、場合によっては法的手段を用いることはもちろん必要である。だが、個々の検証作業の中で、全体が何を目標としているのかが見落とされてはならない。

海保の目標は明確である。それは、抗議活動に来る人々を恐怖させ、抗議活動そのものを萎縮させることに他ならない。極めて積極的に行われる排除行動はその現れである。海上の安全確保を目指しているのであれば、海上で「調査をやめてください」と訴えているだけの人々を乱暴に扱ったり、拘束したりする必要はない。彼らに恐怖心を植え付け、運動を萎縮させるために、「安全指導」を行っているわけだ。

浅井さんが、ふとこんなことをおっしゃった。「國分さんの『統治新論』に、警察が法律を都合のいいように解釈して適用するという話があったけれど、それがまさしくここで行われている気がするんですよ」。『統治新論』(太田出版)は、今年の一月に出版した、政治学者の大竹弘二さんと私の共著である。浅井さんが参照されたのは、その中にある次のような議論である。

法は制定されただけでは何ものでもなく、実際に様々な具体的事例に則して解釈され、執行されなければならない。すると、実際の法の運用は、法の制定に劣らず重要だということになる。いや、或る意味では法の運用のほうが重要であると言ってもいいかもしれない。なぜなら、法の性格を決めるのは、書かれている条文そのものではなく、その運用の仕方であるからだ……。大竹さんはこの点を次のようにまとめていた。「極端に言えば、日々の運用のなかで、法はたえず新たに制定され続けているとさえ言うことができます」(七〇頁)。

海上保安庁の「安全指導」もまた、法令に様々な創造的解釈を施すことによって正当化されている。海に突き落とすとか、馬乗りになるとか、沖に置き去りにするとかいった行為が「安全指導」でないことは常識であり容易に理解できることだが、むしろ法律の運用がそうした解釈を可能にしてしまう。

浅井さんのこの発言は私にとって大きなヒントになった。この後(昼食を挟んで)、ゲート前の抗議運動を見にいくことになるのだが、その運動方法を記述するためのアイディアが、この時に得られたように思われるからである。

(『民主主義を直感するために』より抜粋)

書籍データ

民主主義を直感するために 表紙
概要「何かおかしい」という直感から、政治へのコミットメントははじまる。パリの街で出会ったデモ、小平市都市計画道路反対の住民運動、辺野古の基地建設反対運動……哲学研究者が、さまざまな政治の現場を歩き、対話し、考えた思索の軌跡。民主主義を直感し、一歩踏み出すための、アクチュアルな評論集。山崎亮、村上稔、白井聡との対談も収録。
タイトル民主主義を直感するために
著者名國分功一郎
出版社晶文社
刊行日2016年4月28日
判型四六判
頁数276頁
定価本体価格1500円+税
ISBN978-4794968234