民主主義を直感するために 背表紙
社会の知恵

哲学研究者が辺野古で直感した、民主主義の先端部分

沖縄民意の反対を押し切り土砂投入が強行された辺野古。政治的な問題を考える時、最初にある素直な直感はとても大切だ。「これは何かおかしい」という感覚が得られたならば、そこからは「なぜこうなっているのか?」という問いかけが生じ得る。哲学研究者が2015年に辺野古を見て歩いて得た直感を伝えるレポート、その中編。

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カヌーや抗議船による辺野古海上での抗議活動は、座り込みによる訴えを目指す非暴力的なものである。だから、臨時制限区域に立ち入ったり、そこに近づいたりするだけで暴力を振るわれるという現状はどうやっても正当化できない。だが、読者の中には、「制限区域は制限区域なのだから、そこに立ち入るのはおかしいのではないか」と感じる人もいるかもしれない。また、本土のマスメディアが時折、辺野古海上での衝突を報じるが、そうした報道に触れた人の中にも、同じような感想を持つ人がいるかもしれない。

辺野古の現状を理解するためには、当たり前のことだが、事態の背景と、ここに至るまでの歴史を知らなければならない。もちろんここでは詳細な検討は望めない。その輪郭だけでもイメージできるようになることを目指そう。

辺野古の新基地は、沖縄県宜野湾市にあるアメリカ海兵隊普天間飛行場、通称「普天間基地」の代替施設としてその建設が計画されたものだ。前沖縄県知事の仲井真弘多(なかいまひろかず)氏は、普天間基地の県外への移設を公約に掲げて二〇一〇年に再選された。ところが、一三年一二月に突然、公約を翻し、辺野古移設を認める埋め立て承認をした。同年三月、政府が辺野古沿岸の埋め立てを申請した際には、「理解できない」「日米両政府がいくら決めても(辺野古移設は)事実上無理、不可能ですよと申し上げてきた。その考えに変わりありません」と述べていたのだから(『日本経済新聞』二〇一三年三月二三日)、この公約破りは衝撃であった。政府はこの後、仲井真氏による「承認」を、錦の御旗のように掲げて工事を正当化していくことになる。

哲学研究者が辺野古で直感した、民主主義の先端部分
(写真:岩沢蘭)

これに対し沖縄の住民たちは、この上なく民主主義的な手続きで抗議の意を表明してきた。二〇一四年一月の名護市長選では、辺野古の基地に反対する稲嶺進(いなみねすすむ)氏が再選された。名護市議会もまた反対派が多数派を占めている。同年一一月の沖縄県知事選では、辺野古基地建設に反対する翁長雄志(おながたけし)氏が、現職の仲井真氏を破って当選した。同日に行われた那覇市長選でも、米軍基地問題を最大の争点に掲げた城間幹子(しろまみきこ)氏が当選している。同年一二月に行われた第四七回衆議院選挙では、辺野古基地建設に反対する野党側が全四選挙区を制した。これほど明確な意思表示があるだろうか。というか、これほど明確に民意が示される争点というのも、政治史上、珍しい事例というべきではないだろうか。

辺野古の工事は、こうした民意の表明を無視して行われている。さて、政府が民主主義的な意見表明を無視する場合、いかなる抗議の方法があるだろうか。辺野古の抗議運動は、ここまで自分たちの声を無視され、踏みにじられても、絶対に暴力に訴えかけなかった。海の上で「調査をやめてください」と訴え続け、工事車両に「帰ってください」と詰め寄る。そうしたやり方で抗議運動を続けてきた。抗議の異を唱える人たちに、「なんで臨時制限区域に立ち入るんですか? なんで近づくんですか?」と尋ねる人がいたら、その人はまず政府に、「なんで選挙での民意の表明を無視するんですか?」と尋ねるべきである。前者の問いかけのみに拘泥することは、公正なフリをして権力者にはへつらう、そのような態度であると言わねばならない。

浜で浅井さんから海上での抗議活動についてお話を伺った後、すぐ脇にある「へのこテント村」を訪れた。「座り込み○○○○日」と書かれた看板の写真を見たことがある人もいるかもしれない。もともと、ここは「作業ヤード」と呼ばれる工事のための資材置き場になる予定だったが、稲嶺市長がそれを認めず、現在も現状が維持されている。かつては運動の拠点であったが、今ではここを訪れる人の案内所の役目を果たしている。新聞の切り抜きがテントの内側にたくさん貼ってある。

私がテントにいたのは一五分ほどだったが、その間にも七、八人の人がテントを訪れ、基地問題についての説明を受けていた。政治運動というのはなかなか難しく、先鋭化しなければ戦えないが、先鋭化すると新しく関心をもってくれた人が入りにくいというジレンマを常に抱えている。その点、辺野古の運動はうまくバランスをとっているように思われた。このような案内所を作り、誰でもすぐに見に来れるようにしてあるところはさすがである。

フランスの日刊紙『ル・モンド』は三月二五日、「日本の中の沖縄の孤独な闘い」という記事を掲載し( Au Japon, le combat solitaire d’Okinawa , LE MONDE, 25.03.2015)、日本政府の対応を批判するとともに、日本の国内メディアが沖縄の緊張状態をほとんど伝えていないこと、讀賣新聞は知事の「妨害」を批判し、朝日新聞は「住民の反対を押し切って建設される基地の国防上の貢献」についての問いを発するにとどまっていることを紹介した。マスメディアの状況は確かに酷い。だが、辺野古の新基地建設問題は着実に関心を集めているようにも思われる。浅井さんもそのように感じつつあり、実際、テント村には人々が継続的に訪れている。この後我々は、弾薬庫に近い「第三ゲート」と呼ばれる場所に移動して海を眺めたのだが、そこでは、東京から辺野古を訪れたご夫妻にお会いした。「私も東京の小平から来たんです」と何気なくご挨拶すると、「國分さん、存じ上げております」と返してくださった。本土でも関心は高まりつつあるのではないか。いや、もっと高めることができると言うべきだろう。

その後、車で大浦湾をぐるっと周り、瀬嵩(せだけ)に向かう。展望台があり、辺野古の海が一面見渡せる。なるほど、これがエメラルドグリーンの海である。海にとことん縁のない人生を送ってきた私は、この光景に感激しつつ、「グリーンの暗いところと明るいところがまだらになっているのはなぜですか?」と基本的な質問をする。浅井さんが「グリーンの明るいところが浅瀬ですよ」と教えてくれる。

瀬嵩の展望台から眺めた辺野古の海。写真中央の辺野古崎付近が埋め立て予定の海域である。

哲学研究者が辺野古で直感した、民主主義の先端部分
(写真:岩沢蘭)

もちろん、この海は美しいだけではない。右手奥にはキャンプ・シュワブの軍事基地が見える。海では海上保安庁の巡視船が目を光らせ、作業船やスパット台船が不気味な存在感を醸し出している。そして何より、このエメラルドグリーンの海上を、赤いフロートのラインが走る。臨時制限区域を示すためのものであるという。「あのあたりを埋め立てようとしているわけですよね……」。辺野古崎を指さしながら私が尋ねる。それにしても、この海に土砂を投入するという発想自体が理解できない。別に私は熱心な自然擁護派ではないけれども、そういう計画が構想されたこと自体が理解できない。これは辺野古の海をみた私の率直な感想である。

すぐ脇の浜に出た。ここ、瀬嵩の浜は、二月二一日に県民集会が行われた場所である。集会は、県選出・出身の野党国会議員や県議会与党会派の主催で開催された。浜には三九〇〇人の人が集まった。翁長知事の代理として安慶田(あげだ)副知事も出席した(『琉球新報』二〇一五年三月二一日)。

海にとことん縁のない私は、今度は、浜の水際が砂以外のもので満たされていることに驚く。「ん? この白い石みたいなものは何だ?!」。しゃがんでみると、なんとそれはサンゴではないか。「すごい! キレイ! なんでこんなにたくさんあるんですか!」と興奮する私の脇で浅井さんと平田さんは平然としている。なるほど、この地ではこれは当たり前のことなのだろう。サンゴは生き物であるから、新陳代謝を繰り返す。役割を終えたサンゴの部位が、こうして浜に流れ着いているのである。「子どもみたいにはしゃいでいる國分さんをはじめて見ましたよ!」と平田さんにからかわれる。

「さて、次はついにゲート前ですね」。昼食をとった後、浅井さんが言った。ゲート前の訪問は今日のハイライトである。

辺野古の報道でしばしば目にする「ゲート前」というのは、基地の脇を走る二車線の広い道路からキャンプ・シュワブの敷地内に入るためのゲート(門)の前のことを言う。もともと米軍が主要な入り口として使っていたゲートは、いまでは工事車両専用のゲートになっており、通称「旧ゲート」と呼ばれる。その代わりに新しく作られたのが「新ゲート」で、米軍車両は現在こちらを利用している。いわゆる「ゲート前」の抗議活動は、この新ゲートの前で行われている。その他に、「第二ゲート」、そして先に我々も訪れた、弾薬庫近くの「第三ゲート」などがある。以下では「新ゲート」のことを「ゲート」と呼ぶことにする。

ゲートのすぐ前、すなわちゲートと道路の間には、警備会社アルソックの社員が三、四人、警備服を着て立っている。ゲート内部の少し離れたところに、機動隊員が五、六人ほど立っている。

昨年夏に辺野古の工事が着工された際、基地を守る機動隊員たちをアルソックの社員たちが守るという前代未聞の映像や写真が報道されて世間を驚かせた。状況は今も同じだった。一番外側を守っているのはアルソックの社員である。詳述はできないが、これは軍事の民営化と呼ばれる世界的な傾向の一事例として捉えるべきものである。日本でもいつの間にかそれが進んでいることが、辺野古の工事を通じて明らかになった。

さて、ゲートの向かい側、二車線の道を渡ったところに、青いビニールシートで作られたテントがある。ここが「テント村」と呼ばれる現在の運動の拠点だ。その日はちょうど午後二時から、シュプレヒコールをあげるなどの抗議行動が予定されていた。これは、「島ぐるみ会議」という組織のバスでゲート前を訪れた人たちの帰宅時間に合わせて設定されたもののようであった。

島ぐるみ会議とは、県知事選の際、翁長氏を応援するために作られた組織である。千円を払えば誰でもバスに乗ることができる。このバスを使って沖縄の各地から毎日たくさんの人がゲート前を訪れている。その日も百人以上の人たちがゲート前にいた。バスで来た人たちの中には高齢の方々も多い。子ども連れの父親もいる。日差しが強いので、シートで大きな屋根を作り、皆、その下に置かれた椅子に座っている。見事に設営されたイベント会場のようである。

見事なのは会場だけではなかった。ゲート前に到着した午後二時の時点で、私は、「シュプレヒコールをあげるなどの抗議行動が行われるらしい」ということしか知らず、これから何が起こるのかよく分かっていなかったのだが、その後の約二時間の抗議行動を見ながら、これが実に精妙に組み立てられたプログラムで実施されていることを理解することになる。

ゲート前で抗議行動の指揮をとっているのは、沖縄平和運動センターの山城博治(やましろひろじ)さんである。真っ黒に日焼けしたひろじさん(皆が「ひろじさん」と呼んでいるのでここでもこう表記させていただく)は、とにかくしゃべりがうまい。実に面白い。ここで行っている抗議行動はもちろん真剣だ。そして基地問題は実に深刻な問題である。しかし、ゲート前の抗議行動には笑いがある。ひろじさんも四時過ぎに抗議行動が終わった後、「楽しくやらないと続かないからね」とおっしゃっていた。

二時からのプログラム、まずはひろじさんの司会で、ここを訪れている人々からの報告やお話が続く。その日は、これまでの抗議活動の様子を捉えた写真を広く紹介する写真展の話があった。写真展「辺野古新基地に抗って」は、その後、四月五日から一二日まで、名護市立図書館地階ロビーで開催された。会期中は、海上での抗議活動を記録したドキュメンタリー映画『圧殺の海』(藤本幸久・影山あさ子共同監督)の上映も行われた。『圧殺の海』は各地で上映されている。機会があればぜひ見ていただきたい。

さて、これら報告やお話の中で、私が何よりも感激したのは、地元企業「金秀」で働く三人の社員の方が、このゲート前を訪れて挨拶していったことである。実は金秀は、企業をあげて辺野古の基地建設に反対しており、なんと経常利益の一%を反対運動に提供することを約束している。金秀は、沖縄を歩いていればあちこちで見かける「スーパーかねひで」の経営母体であり、その他、建設業も営む、従業員約五千人の大手企業である。三人の社員の方々は「研修」でここを訪れたという。一人ひとりが「研修でやって参りました」とマイクをもって話をしている。

私は本当に感動した。こんな光景は想像もしていなかった。そしてまた、基地問題が沖縄の住民にとってどれだけ切実な問題であるのかを改めて実感したようにも思った。企業として基地建設反対運動を応援しているのは、金秀だけではない。先に紹介した「島ぐるみ会議」の共同代表を務める平良朝敬(たいらちょうけい)さんは、沖縄のホテル大手「かりゆしグループ」のCEOである。食品大手の「沖縄ハム」(通称オキハム)も抗議活動を応援している。昨年の七月末には、オキハムの会長長濱徳松氏が「辺野古新基地建設絶対反対」と題する長文の意見広告を『琉球新報』と『沖縄タイムス』に掲載し、大きな話題となった。「オール沖縄」というスローガンの背景には、企業も堂々と反対運動に参加する、こうした雰囲気があるのだ。

さて、金秀社員の方々の挨拶を感激しながら聞いていると、どういうわけだか、「えぇ、東京から哲学者の大学の先生がいらしております。國分功一郎さんです。ぜひ一言お願いします」とひろじさんからマイクを渡された。私もお話をさせていただくことになった。

哲学研究者が辺野古で直感した、民主主義の先端部分
(写真:岩沢蘭)

私は人前で挨拶することには慣れている。しかし、この時はとても緊張した。突然に本土から、物見遊山といわれても言い返せない仕方でこの運動を見学しにきた私に、生活に関わる問題として基地問題を抱えている住民の方々がどう反応なさるのか、予想ができなかったからである。私は率直に、自分のこと、そして自分の思いを話すことにした。

自分は大学で哲学を講じている者であり、民主主義についても著書がある。また、東京の地元では道路建設を巡る住民投票運動に関わった経験がある。自分はいま、辺野古に来てみて、ここに日本の民主主義の先端部分があると感じている。かつて、マックス・ウェーバーという社会学者は、国家を暴力の独占装置として定義した。辺野古では、そのような国家の姿がまさしくむき出しの状態で現れているのではないか。選挙で何度も民意を表明しても、国家はそれを平然と無視する。そしてその無視に抗議する住民たちを、暴力で抑えつけようとする。国家は暴力の独占装置であるが、普段はその姿を現しはしない。暴力は常に潜在的な脅威に留まる。実際に暴力が現れるのは極限状態においてである。暴力が実際に行使されているとすれば、それはその現場が極限状態にあるからだ。その意味で、辺野古は極限状態にある。そして、この辺野古の闘いとは、そうした極限状態において民主主義を守ろうとする闘いであろう。その意味で、ここに日本の民主主義の先端部分がある。

私はそんな話をしながら、ついさっき見てきた辺野古の海を思い出しつつ、「あの海を埋め立てて基地を作るなどあり得ない」と口にしたのだが、その瞬間、どうにも内側からこみ上げる感情を抑えきれなくなってしまった。話を続けたいが、うまく続けられない。こういう状態を「声を詰まらせる」と言うのか……。もう今にも泣き出しそうだった。すると、目の前で話を聞いてくださっていた方々が、次々に、「がんばれ!」と声をかけてくださった。私は何とか声を取り戻すことができた。そしてその後、手短に話を終えた。

話をした直後、『沖縄タイムス』記者の知花徳和さんから取材を受けた。実は前日にも、同紙のインタビュー取材を受けていた(記事は四月一四日に紙面のウェブに公開された)。タイムスはゲート前に記者を常駐させている。紙面には、「今日の辺野古」というコーナーがあり、その日に起こったことが正確な時間とともに毎日報告されている。タイムスを読んでいる読者は、辺野古がどういう状況になっているかをイメージできるようになっている。『琉球新報』もまた「辺野古ドキュメント」という欄で、毎日、辺野古の状況を伝えている。時折、断片的に、人目に付きやすい事件を取り上げるだけの全国紙とは違う。

なお、私はその日にゲート前でマイクを握った何人もの方々のうちの一人に過ぎなかったのだが、タイムスは私の演説を写真付きで記事にしてくれた(「辺野古の現状「民主主義の最先端」/哲学者・國分さん訴え/極限状態「国の暴力性増す」」、『沖縄タイムス』、二〇一五年三月二九日)。

(後編へと続く)

(『民主主義を直感するために』より抜粋)

書籍データ

民主主義を直感するために 表紙
概要「何かおかしい」という直感から、政治へのコミットメントははじまる。パリの街で出会ったデモ、小平市都市計画道路反対の住民運動、辺野古の基地建設反対運動……哲学研究者が、さまざまな政治の現場を歩き、対話し、考えた思索の軌跡。民主主義を直感し、一歩踏み出すための、アクチュアルな評論集。山崎亮、村上稔、白井聡との対談も収録。
タイトル民主主義を直感するために
著者名國分功一郎
出版社晶文社
刊行日2016年4月28日
判型四六判
頁数276頁
定価本体価格1500円+税
ISBN978-4794968234