言葉の贈り物 背表紙
こころの知恵

本は読まなくてもいい

わたしたちは、「本は読まなければならない」「読まなければ意味がない」と思い込んでいます。しかし、批評家・若松英輔さんは、そうではない、と言います。それは一体、なぜでしょうか。

二〇一二年に父が亡くなった。とにかく本が好きな人で、読むことを楽しむのはもちろん、買うことにも強い熱情を持ち続けた。郷里の家には今も、じつに多くの書物が整然と並んでいる。

熱情というのは比喩ではない。彼は晩年、目が悪くなり活字を追うのに不自由を感じるようになっても、本を買う勢いは止まらなかった。

ほとんど本を読めなくなってからも父は、毎月数万円分の本を買っていた。私を含め、兄弟三人で毎月仕送りをしていたくらいなので、家計に余裕があったわけではない。むしろ、少し節約をしなければならない状況であることも父は知っていたのである。

読めない本を買う。それもじつに多く購入する。そう聞くと、なんて無駄なことをするのだろうと思われるかもしれない。私も、ある時期までそう感じていた。

あるとき家族で相談をして、父に本を買うのを止めてはどうか、と提案してみることになった。その役割は末の息子である私に回ってきた。父の、本への熱情をもっとも強く受け継いでいるのは、兄弟のなかで間違いなく私だったからだ。

本好きに本を買うなというのは、食べ物を食べるな、というのに似ている。説得は難航した。父と話しながら意識下では、同じ状況だったら自分も似た行動をするのではないかと、うっすら思ったのを覚えている。しかし、数冊ならともかく、読めない本を家計に負担になるほど買うなどどうかしている、と思い直して説得を続けた。

こちらの思いが受け入れられるわけがなかった。父は理由にもならないことを話していたが、こちらが引くしかなかった。のっぴきならない何かがあるのはよくわかったからである。

郷里で父と話してからほどなく、会社の同僚にこのことを話した。父への不満も必要以上に口にした。

しかし、話しながらしきりに、誰かに話しているのは事の大小にかかわらず、自分のなかでうまく整理できていない事象なのだ、話すことで自らの気持ちを確かめるのである、と河合隼雄が書いていたのを思い出したりしていた。

すると黙って聞いていた同僚が、ぽつりと「読めない本は、読める本より大事なのかもしれない」といった。読めない本を買うときの方が、読みたいと思う気持ちが強いのではないか、というのである。

このときの衝撃を忘れることができない。読書観ばかりか、世にある物との関係にも大きな変化をもたらす経験となった。

確かに本は、読む者のためだけに存在しているのではない。むしろ、それを読んでみたいと願う者のものである。通読しなくてはならない、という決まりがあるわけでもない。書物自体を愛しく感じることができるなら、またそこに一つの言葉を見出すことができれば、それだけでも手に取った意味は十分にある。

人は、いつか読みたいと願いながら読むことができない本からも影響を受ける。そこに記されている内容からではない。その存在からである。私たちは、読めない本との間にも無言の対話を続けている。それは会い、話したいと願う人にも似て、その存在を遠くに感じながら、ふさわしい時機の到来を待っている。

また、一つの言葉にも人間の人生を変えるに十分な力が秘められている。書き手の仕事はむしろ、生涯を費やして一つの言葉を届けることのようにすら、今は感じる。通読できる時間も体力も残されているとき、人は記されている内容ばかりに目が行って、そうした一語の前を素通りしているのかもしれない。

英文学者で優れた随筆家でもあった福原麟太郎(一八九四〜一九八一)が、『読書と或る人生』と題する自伝的な読書論で読書の喜びにふれ、次のように書いている。

ねる前まで読んでいて、あとは明日にしようと、残り惜しくも本を閉じ、あしたの朝を待つ心持で枕につくとか、外から家へ帰ってくるとき、帰ったら、あの本にすぐ取りつこうぜと心に思いながら、電車に乗っている、というようなことは、決して無くはない。私自身の経験にも、そのような時代があった。今から思うと、どんなに貧乏でも、どんなに辛いことがあっても、そういう時にその人は幸福なのである。

この言葉に出会ったのは高校生の頃である。そのときから強く印象に残っていたが、それを深く感じたのは父の没後、彼が遺した書棚の前に立ったときだった。彼の蔵書は言葉とは異なるコトバで何かを語りかけてくるようでもあった。このとき経験した心持ちは今では、私の幸福観を決定する情感にすらなっている。

本を読むことの楽しみだけでなく、書物の奥には人生の多くの時を費やしてもけっして後悔しない豊饒な世界が広がっていることも、私は父から教わった。また本は読むだけでなくそれを眺め、手にふれ、あるいは心に思い浮かべるだけでも十分な何かであることも教わっていたのである。

父が師であるなどと生前には思いもしなかったが、彼もまた私の文学の師のひとりだったのかもしれない。

今日、私にとって本を読み、書くことは、父と共にでなくては行うことのできない営みであると強く思う。共に、とは喩ではない。生きている死者である父の助力がなければ文章を書き続けられないことも、今ならはっきりと感じられる。

(『言葉の贈り物』より抜粋)

書籍データ

言葉の贈り物 表紙
概要読めなくなってもなお本を買い続けた父、自分を厳しく叱った元上司、思いを言葉にすること、書けない時間を愛しむこと。本当にだいじなことをそっと語り出す24の「言葉の贈り物」。仕事、人生、痛み、喪失、読むことと書くこと、亡き者たちと共に生きること。日々の営みをめぐって批評家・随想家が紡ぐ書き下ろしエッセイ集。
タイトル言葉の贈り物
著者名若松英輔
出版社亜紀書房
刊行日2016年11月18日
判型四六判変型
頁数168頁
定価本体価格1500円+税
ISBN978-4750514901