私の東京地図 背表紙
社会の知恵

東京はまだ普請中──青山はどう変わったか

1930年代には〈気のおけない土地〉だった青山に、〈東京オリンピック〉という重戦車は進んだ。東京の街の変貌を目の当たりにしてきた著者による、今と昔が交錯するエッセイ。

〈青山〉ときいて、人はどのようなイメージを持つのだろうか。

おそらくは〈小じゃれた〉住宅地、表参道に近いアパレル・メーカーの多い街 ── そういう感じではないか。

── 現実にはそうだと思うが、私にとっては〈親近感の持てる〉場所である。私は日本橋の生れだが、母の実家が青山南町2丁目(今だと南青山2丁目)なので、子供のころからよく行っていた。そのころの青山は、〈気のおけない土地〉だったので、〈しゃれた〉といった形容詞とはほど遠かった。
1970年代に出た『東京地名小辞典』(三省堂)を見ると、〈青山〉は〈港区北西部の住宅地〉と一行で表現されている。
青山には幾つかの顔があるが、第2次大戦前は軍事施設が多かった。青山1丁目の交差点のすぐそばに、なんと陸軍大学校があった。軍関係の建物も多く、永井荷風は市電でここを通り抜けるだけで不愉快だと「日和下駄」に記している。

民主主義を直感するために 背表紙
社会の知恵

土砂投入が強行された辺野古をあらためて直感するために

沖縄民意の反対を押し切り土砂投入が強行された辺野古。政治的な問題を考える時、最初にある素直な直感はとても大切だ。「これは何かおかしい」という感覚が得られたならば、そこからは「なぜこうなっているのか?」という問いかけが生じ得る。哲学研究者が辺野古を見て歩いて得た直感を伝えるレポート。

今年、二〇一五年三月二七日から二九日の三日間、私は沖縄に滞在した。沖縄を訪れたのはこれがはじめてである。フェイスブックで知り合いになった平田まさよさんから、ぜひ那覇のジュンク堂でトークショーを行って欲しいとお誘いを受けたのがきっかけだった。昨年来、何とか辺野古を見に行きたいとは思っていたが、なかなか踏み出せずにいた。その機会が訪れた。私はトークショーの次の日に、一日かけて辺野古を案内してもらうことになった。

いま、沖縄県名護市辺野古に、アメリカ合衆国海兵隊の新しい軍事基地が建設されようとしている。これはつまり、日本の国内に外国の軍隊の新しい基地が作られようとしているということだ。何の事情を知らなくとも、この事実だけで何かがおかしいと感じられる。現地では大きな反対運動が起こっている。選挙でも建設反対の意思が何度も確認された。ところが日本国政府は知らぬ振りをして、外国の軍隊のためにせっせと仕事をしている。このこともおかしい。

政治的な問題を考える時、最初にある素直な直感はとても大切である。人は何ごとについても直感を得るわけではない。したがって、たとえ事情に通じていなくても、「これは何かおかしい」という感覚が得られたならば、それだけで貴重である。そこからは「なぜこうなっているのか?」という問いかけが生じ得るからだ。その意味で、いかなる直感も大切にされねばならない。直感を得られたということそれ自体が、関心の芽生えを意味している。

会社はこれからどうなるのか 背表紙
社会の知恵

株式会社の経営の根幹を支えているのは、じつは、「倫理」である。

「特別背任」という言葉が世間を賑わわせていますが、これは、自己の利益のために会社を利用したというだけの話ではなく、実は、株式会社という組織の構造に深く関わっている根本的な問題なのです。

最近、「コーポレート・ガバナンス」という言葉を、新聞や雑誌で見かけることが多くなりました。それは、CORPORATE GOVERNANCEという英語をそのままカタカナにしたもので、「会社統治機構」とでも訳すべき言葉です。「企業統治機構」と訳されることがありますが、それでは、これから述べるような、企業の統治と会社の統治とのあいだの本質的なちがいがわからなくなってしまいます。じつは、そもそもコーポレート・ガバナンスとは何を意味するのかについて、学者のあいだでも意見が大きく分かれています。ここではとりあえず、株式会社が効率的に経営されるためには、経営者の仕事をどのようにコントロールすべきかという問題であると、簡単に定義しておきましょう。この定義は、もっとも狭いコーポレート・ガバナンスの定義であると思います。

個人企業や共同企業の場合、経営者の仕事をどのようにコントロールすべきかという問題は、本質的に単純です。なぜならば、古典的な企業においては、オーナーはみずからの意思によって経営者と委任契約を結んでいるからです。それゆえ、問題は、企業のオーナーが、アメとムチとを最適に組み合わせた契約書を作成する能力があるかどうかに帰着します。ここでいうアメとは、経営者のヤル気を引き出すために、その報酬を企業の利益と連動させたりするボーナス制度などのことです。ムチとは、経営者の仕事の精励ぶりのチェックや怠慢が見つかったときの罰則などのことです。いずれにせよ、ここでは、すべてが企業のオーナーの手腕に依存しています。一般に、契約関係とは、自己利益の追求を前提としてむすばれたものです。それがどのような結果を生もうと、それは自己の責任において処理されるべきものです。原則的には、国家が介入する余地はありません。

共通語の世界史 背表紙
社会の知恵

英語の単語こそが現代社会の欲求を表現する

ことばの「シェア」をうながす三つの有力な道具は、商業・宗教・軍隊。社会言語学者のクロード・アジェージュ(コレージュ・ド・フランス名誉教授)が、史上最強の「共通語」である英語について語る。

アメリカ合衆国からオーストラリアやニュージーランドまで、南アフリカからカナダまで、さらには、インドのように、英語が国民語ではないまでも公用語の地位に就いている国々が同じくらいのひろがりを見せていることも考えに入れるなら、英語が商業と軍隊によって地球上の津々浦々にまでもち運ばれて、広大な空間を占めるにいたったわけである。もちろん、これ自体はヨーロッパに関わる出来事ではない。しかし、英語がこうした遠くの国々をヨーロッパに近づけると、ヨーロッパ諸国とのあいだの政治的、経済的な関係をささえる言語となったために、その跳ね返りとして、英語が出生地であるヨーロッパ大陸において大きな重要性をもつこととなった。他方で、いまや低廉な価格の長持ちしないスペクタクルと情報が大量生産されて、ヨーロッパ市場に出まわっているが、それらの商品はメディアお得意の攻撃道具であり、その効果はきわめて大きい。こうして英語に包囲されて、多言語のヨーロッパのあちこちで、単一言語のスローガンを耳にするようになった。

動物と人間の世界認識 背表紙
Created with Sketch. 自然の知恵

トリにとって動かないものは存在しない

人間が客観的だと思っている世界は、動物には当てはまらない。例えば、以下に紹介する動物は、目の前にいるのが動物や生物だとしても、それが存在するかどうかは動きの有無によって判断しているのだ。動物行動学者による驚きの一冊。

さきほど述べた小鳥の場合と同じように、生きた獲物を食べている動物たちの環世界の中で、非常に重要なのは生きて動くものの動きである。何が動くかということはそれほど重要ではない。動くということが重要である。そして、動かないものは意味がない。意味があるのは、その動きである。そういうことから彼らの世界は構築されている。イタチのように、小さな動物を食べて生きる動物でも同じであることを、かつてぼくは経験した。

ケージの中で飼っているイタチの餌として小さなマウスを与える。マウスはちょろちょろっと走りながら、イタチの存在を知る。たぶん匂いがするのであろう。そういう小さな動物たちにとって大事なのは匂いである。匂いによって、危険か、危険でないかという環世界を作っているのではないかと考えられる。そこでマウスは急いで逃げようとする。イタチはそのマウスの動きをきわめて敏感にキャッチする。そして、いきなりそこに走ってくる。走ってきたときにそれを見るのかどうかわからないが、マウスはとたんにそこでフリーズする。つまり、凍りついたように動かなくなるのである。

古本的思考 背表紙
こころの知恵

古本の達人が語る「引き寄せの法則」

街から本の姿が消えていく。そんなちょっぴり寂しい現代にあって、古本屋をめぐる醍醐味とは? 偶然見つけた一冊の古本が次の古本を呼び、新たな人との出会いも引き寄せる。一冊の雑本から始まった時間旅行の話。

山口 今、僕が一番狂っているのが勝野金政っていう人物で、今日はそのことをちょっと話したいんだよね。これもね、こっちが呼んだのかもしれないし、向こうから呼んだのかもしれない。そういうかたちで八年ほど前に古書展で出会った一冊の本から始まるんですよ。その頃、僕はなんとなく戦前の反共文書を集めていたんだけど……。

── 何で戦前の反共文書に興味を持たれたわけですか。

山口 そういうのは、何で彼女のことを好きになったんですかって言うのと同じくらいつまらない質問だよ(笑)。

まあ、日本人のロシア信仰、ソヴィエト信仰っていうのは何だろうみたいな興味もあったしね。で、その一冊というのが勝野金政という人の書いた『赤露脱出記』(日本評論社、昭和九年十一月)。たまたま即売会か何かで目にして、まず装幀があの頃流行った未来派ふうでね。それに惹かれたこともあった。つまり、そういう本って、この周りには何か面白い人物が潜んでいそうだっていう感じがするよね。

アラン『定義集』講義 背表紙
こころの知恵

『定義集』の哲学講義から見えてくる、アランの哲学思想の全貌

ハイパーテキストとしての『定義集』を実践する、壮大な哲学講義

短くて数行、長くて20行程度のいわゆる定義を、毎週、たったひとつだけ取り上げて、徹底的に吟味したのでした。学生さんたちには、予習をしてもらうために、最初は『定義集』(森有正訳、みすず書房、1988)を買ってもらっていました。しかし、2003年に岩波文庫で神谷幹夫さんの訳が出版されたので、そちらに移行しました。理由は、学生さんの費用的負担がその方が軽かったからにすぎません。講義では、両者の訳を私が検討し、その上で私自身の訳を提示しつつ、註解を施したのです。「哲学」の講義ですから、関連した基礎知識を埋め込みながら進むには適切なテクストだとつくづく感じたものです。講義の仕方も次々に進化したと言っていいでしょう。受講生の多くは大学1年生の学生さんたちで、しかも月から7月までの講義ですから、まずフランス語を読める人はいません。それでも原語を欲しいという学生さんにはコピーを渡して、必死に辞書を引くことを促したのです。講義中には、PDF化した原語のフランス語をパソコンからプロジェクタでスクリーンに映し、訳語との比較対照から説き起こすこともしばしばでした。毎週の授業開始時に配るプリントは、私自身の翻訳と、関連した語彙の入っているアランの文章を他の著作からピックアップしたものから始めました。この資料作成に役立ったのが、以下の資料です。

生産性とは何か 背表紙
社会の知恵

人材投資が少ないのはなぜか? データで読み解く日本経済の弱点

日本の経営者はことあるごとに人材の重要性を強調する。実際、人材投資を含む無形資産投資は生産性を上げるための非常に重要な要素の一つである。にもかかわらず、日本は他国に比べて人材投資が少ない。それは何故なのか? その原因を詳細なデータと共に読み解き、考える。

国民経済計算の中に含まれない無形資産投資は、どれも重要だが、日本の場合は特に企業特殊的人的資本投資、いわゆる人材投資の動向が問題である。この企業特殊的人的資本投資は、企業が研修などで実施する人材育成投資の一部である。企業の人材育成投資は、業務時間内に先輩から業務の効率的な進め方や製造技術を学ぶon the job training (OJT)と業務時間外に、業務と関わりのある専門知識について学ぶoff the job training に大別することができる。欧米ではあまりOJTは普及しておらず、またデータとしても把握しにくいため、ここでの人材育成投資は、後者のoff the job training を対象としている。

図1を見るとわかるように、日本はこの人材育成投資の部分が、他の先進国と比べて極めて低い。日本におけるこの人材育成投資のピークは、バブルが崩壊した直後の1991年であった。その後徐々に低下し、1997年、1998年の金融危機を経ると一層減少が大きくなった。この結果2015年の人材育成投資額は、ピーク時のわずか16%になっている。

図1 人材投資/GDP 比率 国民経済計算、JIP 2015(一部宮川簡易推計)及びINTAN-Invest databaseより作成
図1 人材投資/GDP 比率
国民経済計算、JIP 2015(一部宮川簡易推計)及びINTAN-Invest databaseより作成

吉原の江戸川柳はおもしろい 背表紙
社会の知恵

江戸時代は、こんな男がモテていた

今年は、最初の吉原が日本橋にできて400年、さらに古川柳の生みの親・柄井川柳が生まれて300年にあたる。艶っぽさと強欲が渦巻く吉原。その男女の機微を見事に切り取った古川柳に、「ニヤリ」とさせられる。

◎もてる男は“痛かった”

江戸の男たちは、吉原が大好きでした。その大好きな吉原のあれこれを、川柳作家たちが、どうでもいいことを細かく観察したり、いろいろデフォルメしたり、時には「もしこんなことがあったら面白いよなあ」と想像を膨らませたりしながら、可笑しい句に作り上げてくれました。

たとえば、もてる奴はこんな風だったようです。

もてたやつ夜中おいていていを言い 一一30

つねるのは愛情の表現です。一晩中あちこちつねられて、「おお痛え痛え」を連発するのです。

焼け煙管みだりに女郎おっつける 一四25

また、煙草の火で雁首が熱くなった煙管を押しつけるのも、遊女の媚態の一つのようです。何とも不思議なテクニックですので、「それ、本当にもてているの」とお疑いの向きもあろうかと思いますが、

あざや火傷へ湯のしみるもてた朝 一〇三9

という句があり、つねられたアザや焼け煙管の火傷は「もてた証拠」だと、はっきり言っていますので、そういうことなのでしょう。

もちろん、アザや火傷ではない楽しい世界を満喫するのは当然です。

小便に行くと太腿ゆるめさせ 桜20

一般の男女の句ともとれますが、やはり落語『明烏』の場面が連想されます。遊女が客の足に太腿を絡めて離さないのを、「小便に行くから、ちょっとゆるめてくれ」と言っているのです。

遠州灘を乗るようなもてた晩 一三二11

これは説明不要でしょう。蒲団が大きく揺れるのです。

英語原典で読む経済学史 背表紙
社会の知恵

英語×経済=自信!

大学生やビジネスパーソンのあいだで往年の受験参考書、原仙作『英文標準問題精講』(中原道喜補訂、旺文社、初版1933年)が人気を集めているという。「使えるエイゴ、話せるエイゴ」に回収されない英語熱はいまだに、いやかえって強まっている。

アダム・スミス(1723-90)は、しばしば、「経済学の父」と呼ばれています。彼の著書『国富論』(1776 年)は、カール・マルクスの『資本論』やJ.M. ケインズの『雇用・利子および貨幣の一般理論』とともに、経済学の三大古典といってよいほど有名なので、スミスのことはほとんど何も知らなくても、『国富論』やその中に出てくる「見えざる手」という言葉くらいは聞いたことがある人も多いのではないでしょうか。

スミスは18 世紀のスコットランドに生まれているので、彼が書いた英文は、当然ながら、現代のものよりもやや古い感じを与えます。もうずいぶん前、経営管理や組織論を研究していた教授と話す機会がありましたが、経済学史の話になったとき、唐突に「スミスの英文は読めたものではない」とはき捨てるように言われたので、ちょっと驚いたことがありました。学生時代にスミスの『国富論』を原典で読まされた授業が面白くなかったのか、古風な英文には反感をもっておられるようでした。