音楽劇の歴史 背表紙
身体の知恵

ちょっとした「事故」で大人気に──ストリップ・ショー

オペラのパロディだったバーレスクは、客を呼ぶために「家族向きでない」ショーになり、品のない酒場のショーだったヴォードヴィルは、集客のために「家族で楽しめる」ものに。経営努力から後の芸能や芸人が生まれた。

◆ストリップ・ショーの起原──バーレスク

バーレスクという言葉は、今日のアメリカではストリップ・ショーに近い意味で使われているが、19世紀のイギリスではパロディ劇という意味で使われていた。バーレスクは、産業革命で誕生した大衆を観客として成立した。貴族階級は本格的なオペラなどを好んだが、そうしたオペラをパロディ化した作品がバーレスクと呼ばれ、大衆に愛されたのだ。アメリカでもイギリスとほぼ同時期の1840年代に始まり、1870年代まで数多く上演されたが、南北戦争以降はこれに新しい動きが加わった。大型化とセックス・アピールの導入だ。

セックス・アピール入りのバーレスクはイギリスの発明で、女性ダンサーのタイツ姿を見せるショーをアメリカに伝えたのは、リディア・トムプソンだった。1864年にイギリスでヒットしたギリシャ神話を題材とした作品を、アメリカの観客向けに改変して簡単なパロディ劇にし、歌や踊り、パントマイムなど様々な芸能を盛り込んだ。物語よりも、タイツ姿のダンサーたちが脚を高く蹴り上げるハイキックを見せるのに主眼が置かれていて、同じような脚見せショーの『黒い悪魔』に続き、大いに受けて120回の続演を記録した。

『教行信証』入門 背表紙
こころの知恵

仏教におけるあの世とは?

お葬式に参列すると、「君はいま、あの世で安らかな時を過ごしていると思う。○○君にはもう会ったかな」という感じの弔辞を聞くことが多いですが、仏教が設定しているあの世は、実は、安らかな時を過ごす場所ではなく、けっこう忙しいところなのでした。

「浄土に往生する」といえば、普通には肉体を捨てた死後のことと考えられる。だが、それは、仏教の教えにしたがった考え方ではなく、いわば日常を支配している「自然宗教」的な常識の判断なのである。つまり、「自然宗教」でいう「この世」と「あの世」の区別を仏教にも当てはめて、「浄土」を「あの世」だと思いこんでいるのである。

だが、仏教によれば、大事なことは「生死の世界」、「六道の世界」を脱出して「悟りの世界」に入ることである。そのためには、肉体は煩悩の巣窟として否定的に見られるが、大事なことは「真実の智慧」に目覚めることである。その「智慧」は、精神的に得られるものであって、肉体の亡失は二義的となる。だから、仏教では自殺はなにも解決したことにはならない。「死ねばすべては終わりだ」という考え方も、解決にはならない。

『謎解き 聖書物語』 背表紙
こころの知恵

旧約聖書に秘められた人類誕生の謎に迫る

旧約聖書に記された人類誕生の場面は誰もが知る有名な物語です。しかし、従来の聖書には、じつは重要な誤訳がありました。気鋭の聖書考古学者が、物語の裏側を解き明かし、それを生み出した人びとがそこに秘めた、人間への、そして自然への思いを探ります。

なぜ人は土でつくられたのか

創世記では、神は土(ヘブライ語でアダーマー)のちりを使って人をつくります。なぜ土なのでしょうか。これにはおそらくふたつのことが関係しています。ひとつ目は、この物語を書いた人たちにとって、土がもっとも身近で自由に形をつくることのできる材料だったということ。そしてふたつ目は、人間の肉体が死後に土中で分解されていくことです。

旧約聖書の冒頭に収められたこの人類誕生の物語が書かれたのは、いまから2500年ほど前の西アジアです。当時はもちろんまだプラスチックなどはありませんでした。金属はありましたが、人間の肉体が硬い金属でできていないことはあきらかです。人びとは神々の像を青銅でつくりましたが、同時に神々や人間、そして動物の像をつくるのに粘土も利用しました。土器は調理や食事のときに当時の人びとが毎日使う日用品でした。土器をつくる職人も身近にいたことでしょう。そして何よりも、ちょうど粘土が崩れて土に還るように、人間も土中に埋葬してしばらくすると、やがて骨だけを残して形を残さなくなることを、土葬が一般的だった当時の西アジアの人びとは、自らの観察によって知っていたのです。

いのちへの礼儀 背表紙
社会の知恵

日本人が知らない「ハムサンドイッチ問題」:動物解放運動の考え方

20世紀後半の「畜産革命」によって、まさしく「いのち」が産業化され、生権力の対象となった。人間にとって動物とは何者なのか?

動物解放運動は1970年代に欧米で始まり、世界各国に広がりました。それは、人間による動物への搾取と「人間中心主義」そのものを否定することにより、世界に大きな衝撃を与えました。わたしたちの社会が、たとえば奴隷を「より人道的に扱う」のではなく「奴隷制をなくすべきだ」としたように、動物を「より人道的に扱う」(例えば、鶏が運動できるようにケージを広くする)のではなく、屠殺や工業畜産そのものを廃止しようとしたのです。トム・レーガンが言うように「われわれは『ケージを大きくする』のではなく『ケージを空にしろ』と主張するのだ」(『The case for animal rights』2004年版)。

動物解放運動は、哲学者のピーター・シンガーが1975年に出版した『動物の解放』をきっかけに世界に広まりました。ここから、シンガーは「動物解放の父」と言われます。

ゲノム編集の光と闇 背表紙
身体の知恵

中国で誕生が確認された「ゲノム編集ベビー」いったい何が問題なのか

「中国の研究者がゲノム編集した受精卵から子どもを誕生させたと主張」──2018年11月26日、科学界を揺るがす衝撃のニュースが報道されました。その2日後、香港で開催中の国際会議に件の研究者・賀建奎が登壇しました。後日、生まれた双子の存在を中国当局が確認したことも報道されています。生命の設計図をやすやすと操作して双子を誕生させた、というこの出来事の問題点はどこにあるのでしょうか。

†HIVの感染防止というが……

香港の国際会議で賀建奎が語った内容は、おおむね次のようなものだった。

ゲノム編集のターゲットとしたのは、エイズウイルス(HIV)の感染に関係するCCR5遺伝子だ。CCR5はHIVが細胞に感染する時の「入口」になる受容体たんぱく質で、この遺伝子に変異があるとHIVが感染できなくなる。

賀はクリスパーを使い、マウスを使った実験や、サルを人間のモデルとして使った実験、シャーレの中でのヒト受精胚実験やヒトES細胞を使った実験を行い、最終的に臨床応用したという。

翻訳 訳すことのストラテジー 背表紙
こころの知恵

グーグル翻訳があれば外国語学習はもう必要ない?

機械翻訳が便利な道具としてどんどん使われるようになっているいま、外国語をきちんと勉強する必要をだれも感じなくなるのではと危惧する人もいるかもしれません。でも、機械翻訳は、言語どうしの差異をあらためて教えてくれるものでもあります。わたしたちは機械翻訳を通じて、完全な等価物になりえないそれぞれの言語のちがいをより意識し、そこに楽しみを見いだしたり、新しい表現の可能性を探ったりできるようになったとも考えられないでしょうか。

翻訳とはある言語から別の言語に、というシンプルなものではない。それはつねに、ある言語の部分集合から別の言語の部分集合への動きなのだ。たんにフランス語から英語にうつすのではなく、フランス語でのファッションの会話から英語でのファッションの会話にうつすのだ。あらゆる会話が以前の会話の部分部分を並び替えたものなら、この言語の部分集合の中で、どんな語やフレーズがあらわれやすいかをあらかじめ想定することができる。国連の通訳がまさにそうだ。言語を使うということは驚くほど、先行する言語の使い方のまねなのだ。そして翻訳という行為には、すでにどこかで訳された内容の再翻訳がつきものなのだ。この知見は、コンピュータ翻訳にとって画期的だった。〔……〕

未開社会における性と抑圧 背表紙
社会の知恵

そこから文化が始まった大きなできごと

フロイトの理論は、それまでの西欧的知に巨大な衝撃を与えた。その影響は人類学にも及び、本書の著者マリノフスキーは精神分析と社会科学を協働させ、人類史研究の新しい可能性の開拓を目指した。

トーテミズムとタブー、外婚制と供犠の劇的なはじまりに関するフロイトの理論は、精神分析の立場から人類学について述べた著作のうちでも、きわめて重要なものである。それはこのエッセーのように、人類学上の発見に、精神分析の視点を合致させようと試みているエッセーにおいては素通りすることのできないものなのだ。こういうわけなので、われわれは、その理論をこまかく批判的に分析するこの機会をのがすまい。

彼の著書、『トーテムとタブー』で、フロイトは、エディプス・コンプレックスの観念が、トーテミズム、義母を避けること、祖先崇拝、近親相姦の禁制、人間とトーテム動物との同一視、父なる神という観念などを説明するのに、いかに役立つかを示している。実際、エディプス・コンプレックスは、われわれが知っているように、精神分析学者たちによって文化の源泉、文化の発生以前に生じたものと考えられているのであるが、この本のなかでフロイトは、それがいかにして生じたかという仮説を綿密に述べている。

京都思想逍遥 背表紙
こころの知恵

諸行無常の悲哀を追体験する

京都を逍遥するとは、権力者がつくりあげた秩序正しい「歴史」に抗い、破砕することなのだ──。源氏物語から道元、世阿弥、西田幾多郎、三島由紀夫まで、時を超え思考の足跡を辿り、その魂と交響する。

1 悲哀する京都

†悲哀のみやこ

京都という都市を、「悲哀するひとびとの記憶の集積したまち」としてとらえてみよう。千二百年以上の時間の堆積のなかで、どれだけたくさんの悲哀が、このまちで繰りひろげられたか。それを思えば、気が遠くなりかける。

坂上田村麻呂に東北から平安京に連れてこられ、河内国で殺された蝦夷の阿弖流為と母礼。源氏と平氏の激烈な角逐の悲史。三条河原で処刑された豊臣秀次の家族たち。六条河原で殉教したキリシタンたち。天皇から最底辺の民衆まで、悲哀する人間たちの絢爛たる絵模様が、このまちにはある。

言葉の贈り物 背表紙
こころの知恵

本は読まなくてもいい

わたしたちは、「本は読まなければならない」「読まなければ意味がない」と思い込んでいます。しかし、批評家・若松英輔さんは、そうではない、と言います。それは一体、なぜでしょうか。

二〇一二年に父が亡くなった。とにかく本が好きな人で、読むことを楽しむのはもちろん、買うことにも強い熱情を持ち続けた。郷里の家には今も、じつに多くの書物が整然と並んでいる。

熱情というのは比喩ではない。彼は晩年、目が悪くなり活字を追うのに不自由を感じるようになっても、本を買う勢いは止まらなかった。

ほとんど本を読めなくなってからも父は、毎月数万円分の本を買っていた。私を含め、兄弟三人で毎月仕送りをしていたくらいなので、家計に余裕があったわけではない。むしろ、少し節約をしなければならない状況であることも父は知っていたのである。

殿山泰司ベスト・エッセイ 背表紙
社会の知恵

ヘンな国だねニッポンは。

1963年、自衛隊の「三矢研究」が発覚、1965年には筑豊炭田で爆発事故がありました。映画やドラマで独特の存在感を見せつけた名優・殿山泰司が、ユーモアを交えつつ憂うニッポンの政治や国のありようは、今の日本にも通じています。

それにしても戦争はイヤだなあ。

ベトナムの風雲が急を告げる時、ニッポンの国会では“三矢研究”なるものが、社会党の代議士からバクロされ問題になっている。

この“三矢研究”というのは、北朝鮮と中共の軍隊が38度線を突破して韓国に全面攻撃をかけてきた場合、直接侵略の危機にさらされたニッポンはどうするか。それに対して、防衛庁内部で作成された計画書なんだそうである。

三矢ナントカ、サンヤだかミツヤだか知らねえけどよ。防衛庁のだね、いいオトナがきっと何人か集まって作ったんだろうけど、ようこんなアホな研究しよったな。アキレ返ってモノもいえんわ。