民主主義を直感するために 背表紙
社会の知恵

いったいこの基地は誰を幸せにするのだろうか?

沖縄民意の反対を押し切り土砂投入が強行された辺野古。政治的な問題を考える時、最初にある素直な直感はとても大切だ。「これは何かおかしい」という感覚が得られたならば、そこからは「なぜこうなっているのか?」という問いかけが生じ得る。哲学研究者が2015年に辺野古を見て歩いて得た直感を伝えるレポート、その後編。

(中編の記事はこちら

マイクを使っての様々な報告や話が一通り行われると、何やら人々が立ち上がり、動き始めた。どうやら皆で道路を横断し、ゲート前に直接に座り込みにいくらしい。

さて、この後始まったゲート直前での抗議行動は、実に興味深いものであった。ここには、政治を考える上での理論的な問題が見出されるように思われる。当日の雰囲気をなるべく忠実に伝えられるよう努力したい。

道路を渡った後、何が始まるのか私にはすぐには分からなかった。だが、おもむろに人々が二列になり歩き始めた。人数は一三〇人ほどだろうか。二列になって歩行する人々は、約二〇メートルの長さのゲートの端の前から出発して、もう一方の端の前で折れ曲がり、歩道を行ったり来たりする。こうして、歩道上を行進する二列の人々の輪が出来上がった。

大政翼賛会のメディアミックス 背表紙
社会の知恵

「素人」が「投稿」し、自ら動員される参加型ファシズム

私たちは誰に「表現させられて」いるのか。

「翼賛一家」というまんがが、戦時下にあった。昭和十五年末から、多くの新聞、雑誌に連載され、単行本もいくつか出た。レコード化、ラジオドラマ化、小説化などもされた。これは今のことばで言えばメディアミックス作品である。

本書はこの「翼賛一家」のメディアミックスについて考えるものである。(中略)

「翼賛一家」が戦時下における政治的動員の手段として意図され、仕掛けられた「メディアミックス」であった点は本書で検証していくが、それまでの多メディア展開と異なる点が大きくいって三つある。

民主主義を直感するために 背表紙
社会の知恵

哲学研究者が辺野古で直感した、民主主義の先端部分

沖縄民意の反対を押し切り土砂投入が強行された辺野古。政治的な問題を考える時、最初にある素直な直感はとても大切だ。「これは何かおかしい」という感覚が得られたならば、そこからは「なぜこうなっているのか?」という問いかけが生じ得る。哲学研究者が2015年に辺野古を見て歩いて得た直感を伝えるレポート、その中編。

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カヌーや抗議船による辺野古海上での抗議活動は、座り込みによる訴えを目指す非暴力的なものである。だから、臨時制限区域に立ち入ったり、そこに近づいたりするだけで暴力を振るわれるという現状はどうやっても正当化できない。だが、読者の中には、「制限区域は制限区域なのだから、そこに立ち入るのはおかしいのではないか」と感じる人もいるかもしれない。また、本土のマスメディアが時折、辺野古海上での衝突を報じるが、そうした報道に触れた人の中にも、同じような感想を持つ人がいるかもしれない。

辺野古の現状を理解するためには、当たり前のことだが、事態の背景と、ここに至るまでの歴史を知らなければならない。もちろんここでは詳細な検討は望めない。その輪郭だけでもイメージできるようになることを目指そう。

辺野古の新基地は、沖縄県宜野湾市にあるアメリカ海兵隊普天間飛行場、通称「普天間基地」の代替施設としてその建設が計画されたものだ。前沖縄県知事の仲井真弘多(なかいまひろかず)氏は、普天間基地の県外への移設を公約に掲げて二〇一〇年に再選された。ところが、一三年一二月に突然、公約を翻し、辺野古移設を認める埋め立て承認をした。同年三月、政府が辺野古沿岸の埋め立てを申請した際には、「理解できない」「日米両政府がいくら決めても(辺野古移設は)事実上無理、不可能ですよと申し上げてきた。その考えに変わりありません」と述べていたのだから(『日本経済新聞』二〇一三年三月二三日)、この公約破りは衝撃であった。政府はこの後、仲井真氏による「承認」を、錦の御旗のように掲げて工事を正当化していくことになる。

なぜ人と人は支え合うのか 背表紙
社会の知恵

「やまゆり園障害者殺傷事件」の背景にあるもの

2016年夏、相模原市にある障害者施設で19人が刺殺され、27人が重軽傷を負った。社会を震撼させた事件の背景に何があったか。そのあらまし、考える手がかりを追う。

◆「やまゆり園障害者殺傷事件」と私たち

非常に気の重い話でもあるのですが、障害をテーマに何かを語ったり、考えたりする場合、やはりこの事件の話題に触れないわけにはいきません。

「障害者なんていなくなればいい」―犯人がそんな趣旨の供述をしたとして、社会を震撼させた例の事件についてです。この問題を考えるにあたっては、事件を起こした植松聖という人物の考え方を高みから全否定するのではなく、その主張をわが身に照らして、じっくりと吟味してみる必要があると私は思っています。

というのも、私自身、胸に手を当ててみれば、ある時期まで、障害についての問題を「人ごと」だと考えていましたから、植松被告と似たような意識を漠然と心の中に抱いていなかったかというと自信がありません。もちろん、「いなくなればいい」とか「死ねばいい」などとはっきり思っていたわけではありませんが、あの事件の報道に初めて接したときの、私自身の心のざわつきに正直にならないわけにはいかないのです。

教養としてのワインの世界史 背表紙
社会の知恵

ワインを飲めば世界史がわかる!? 「ヨーロッパの伝統」の裏側を読み解く

ギリシャ時代より愛飲され、近代の幕開けとともに「世界商品」として歴史を動かしてきた嗜好品・ワイン。その歴史を辿り、資本主義の秘密にせまります。

ワインの旧世界

「旧い」とか「新しい」とかいう言葉は、いいかえれば起源の遠さないしは近さのことです。「旧世界」のワインは起源の古さを伝統として誇り、「新世界」のワインは起源の新しさを活力として誇ります。ですが、話がそれだけならば、もっとも典型的な旧世界ワインの産地はたとえばジョージアであり、もっとも典型的な新世界ワイン産地はたとえばインドや中国であるということになるでしょう。事実、ジョージア・ワインはしばしば「人類最古のワイン産地」を誇り、インドや中国の新進ワイナリーはしばしば、ついに再びやってきた彼らの時代の象徴の一つに数えられます。

ところが実際的にいって、旧世界の中心はフランスやイタリアであり、ジョージアはせいぜいその周縁に入るか入らないかといった程度です。また新世界の中心はカリフォルニアやオーストラリア、チリといった地域であり、中国やインドがそのなかに数えられることはいまのところまずありません。

デリダと死刑を考える 背表紙
社会の知恵

「死んでお詫びをする」という日本の情緒?

「死刑存廃論はあくまでも感情の問題へと縮減される」。──慶應義塾大学理工学部准教授(フランス・イタリア現代思想)の高桑和巳さんが、日本の死刑廃止論において最大の問題である「国民感情」について説明しています。

死刑制度が廃止されている国家は、事実上執行が停止されている国家を含めると、二〇一七年の時点で一四四か国であり、存置の五十七か国の二倍強となっている。各国の人口を考慮すれば比率は逆転するが(中国、インド、アメリカ合衆国(州によるが)、インドネシアなど、人口ランキングのトップ十か国のうちブラジルを除く九か国が存置国である)、これは人口がアジアに集中していることによる部分も大きく──要するに、アジアに死刑存置国が多い──、地域によっては、当該地域内の各国の人口を考慮したとしても、死刑廃止への移行は実質的に最終段階に達している(ヨーロッパ、南アメリカ、オセアニア)。事実上、全体の傾向は廃止への一方向である(つまり、不可逆的な様相を呈している)。

死刑制度は国内法に関わる事柄だという理由から、日本における死刑制度を考えるにあたってこのような国際的趨勢への配慮を不要と見なす立場も存在するが、そのような議論立てが、仮に日本がたとえばヨーロッパに位置していたばあいに実質的な意味をもちうるとは思えない。その意味では、存置ないし無関心の立場が、アジアという一地域での国際的趨勢を意識的にか無意識にか惰性で追認するものにすぎないという可能性も想定できなくはない(念のため言い添えるが、それはアジアには本質的な、乗り越えがたい特殊性がある、などという意味ではもちろんない)。

私の東京地図 背表紙
社会の知恵

東京はまだ普請中──青山はどう変わったか

1930年代には〈気のおけない土地〉だった青山に、〈東京オリンピック〉という重戦車は進んだ。東京の街の変貌を目の当たりにしてきた著者による、今と昔が交錯するエッセイ。

〈青山〉ときいて、人はどのようなイメージを持つのだろうか。

おそらくは〈小じゃれた〉住宅地、表参道に近いアパレル・メーカーの多い街 ── そういう感じではないか。

── 現実にはそうだと思うが、私にとっては〈親近感の持てる〉場所である。私は日本橋の生れだが、母の実家が青山南町2丁目(今だと南青山2丁目)なので、子供のころからよく行っていた。そのころの青山は、〈気のおけない土地〉だったので、〈しゃれた〉といった形容詞とはほど遠かった。
1970年代に出た『東京地名小辞典』(三省堂)を見ると、〈青山〉は〈港区北西部の住宅地〉と一行で表現されている。
青山には幾つかの顔があるが、第2次大戦前は軍事施設が多かった。青山1丁目の交差点のすぐそばに、なんと陸軍大学校があった。軍関係の建物も多く、永井荷風は市電でここを通り抜けるだけで不愉快だと「日和下駄」に記している。

民主主義を直感するために 背表紙
社会の知恵

土砂投入が強行された辺野古をあらためて直感するために

沖縄民意の反対を押し切り土砂投入が強行された辺野古。政治的な問題を考える時、最初にある素直な直感はとても大切だ。「これは何かおかしい」という感覚が得られたならば、そこからは「なぜこうなっているのか?」という問いかけが生じ得る。哲学研究者が辺野古を見て歩いて得た直感を伝えるレポート。

今年、二〇一五年三月二七日から二九日の三日間、私は沖縄に滞在した。沖縄を訪れたのはこれがはじめてである。フェイスブックで知り合いになった平田まさよさんから、ぜひ那覇のジュンク堂でトークショーを行って欲しいとお誘いを受けたのがきっかけだった。昨年来、何とか辺野古を見に行きたいとは思っていたが、なかなか踏み出せずにいた。その機会が訪れた。私はトークショーの次の日に、一日かけて辺野古を案内してもらうことになった。

いま、沖縄県名護市辺野古に、アメリカ合衆国海兵隊の新しい軍事基地が建設されようとしている。これはつまり、日本の国内に外国の軍隊の新しい基地が作られようとしているということだ。何の事情を知らなくとも、この事実だけで何かがおかしいと感じられる。現地では大きな反対運動が起こっている。選挙でも建設反対の意思が何度も確認された。ところが日本国政府は知らぬ振りをして、外国の軍隊のためにせっせと仕事をしている。このこともおかしい。

政治的な問題を考える時、最初にある素直な直感はとても大切である。人は何ごとについても直感を得るわけではない。したがって、たとえ事情に通じていなくても、「これは何かおかしい」という感覚が得られたならば、それだけで貴重である。そこからは「なぜこうなっているのか?」という問いかけが生じ得るからだ。その意味で、いかなる直感も大切にされねばならない。直感を得られたということそれ自体が、関心の芽生えを意味している。

会社はこれからどうなるのか 背表紙
社会の知恵

株式会社の経営の根幹を支えているのは、じつは、「倫理」である。

「特別背任」という言葉が世間を賑わわせていますが、これは、自己の利益のために会社を利用したというだけの話ではなく、実は、株式会社という組織の構造に深く関わっている根本的な問題なのです。

最近、「コーポレート・ガバナンス」という言葉を、新聞や雑誌で見かけることが多くなりました。それは、CORPORATE GOVERNANCEという英語をそのままカタカナにしたもので、「会社統治機構」とでも訳すべき言葉です。「企業統治機構」と訳されることがありますが、それでは、これから述べるような、企業の統治と会社の統治とのあいだの本質的なちがいがわからなくなってしまいます。じつは、そもそもコーポレート・ガバナンスとは何を意味するのかについて、学者のあいだでも意見が大きく分かれています。ここではとりあえず、株式会社が効率的に経営されるためには、経営者の仕事をどのようにコントロールすべきかという問題であると、簡単に定義しておきましょう。この定義は、もっとも狭いコーポレート・ガバナンスの定義であると思います。

個人企業や共同企業の場合、経営者の仕事をどのようにコントロールすべきかという問題は、本質的に単純です。なぜならば、古典的な企業においては、オーナーはみずからの意思によって経営者と委任契約を結んでいるからです。それゆえ、問題は、企業のオーナーが、アメとムチとを最適に組み合わせた契約書を作成する能力があるかどうかに帰着します。ここでいうアメとは、経営者のヤル気を引き出すために、その報酬を企業の利益と連動させたりするボーナス制度などのことです。ムチとは、経営者の仕事の精励ぶりのチェックや怠慢が見つかったときの罰則などのことです。いずれにせよ、ここでは、すべてが企業のオーナーの手腕に依存しています。一般に、契約関係とは、自己利益の追求を前提としてむすばれたものです。それがどのような結果を生もうと、それは自己の責任において処理されるべきものです。原則的には、国家が介入する余地はありません。

共通語の世界史 背表紙
社会の知恵

英語の単語こそが現代社会の欲求を表現する

ことばの「シェア」をうながす三つの有力な道具は、商業・宗教・軍隊。社会言語学者のクロード・アジェージュ(コレージュ・ド・フランス名誉教授)が、史上最強の「共通語」である英語について語る。

アメリカ合衆国からオーストラリアやニュージーランドまで、南アフリカからカナダまで、さらには、インドのように、英語が国民語ではないまでも公用語の地位に就いている国々が同じくらいのひろがりを見せていることも考えに入れるなら、英語が商業と軍隊によって地球上の津々浦々にまでもち運ばれて、広大な空間を占めるにいたったわけである。もちろん、これ自体はヨーロッパに関わる出来事ではない。しかし、英語がこうした遠くの国々をヨーロッパに近づけると、ヨーロッパ諸国とのあいだの政治的、経済的な関係をささえる言語となったために、その跳ね返りとして、英語が出生地であるヨーロッパ大陸において大きな重要性をもつこととなった。他方で、いまや低廉な価格の長持ちしないスペクタクルと情報が大量生産されて、ヨーロッパ市場に出まわっているが、それらの商品はメディアお得意の攻撃道具であり、その効果はきわめて大きい。こうして英語に包囲されて、多言語のヨーロッパのあちこちで、単一言語のスローガンを耳にするようになった。